スポンサー広告

スポンサーサイト

 ←TPPと一緒に、アメリカから恐怖の「悪法」と「危険食品」もやってくる!!映画「フード・インク」より →コンゴの路上音楽集団、世界一へ。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。



記事一覧  3kaku_s_L.png 政治
記事一覧  3kaku_s_L.png 暮らし
記事一覧  3kaku_s_L.png その他
  • TB(-)|
  • CO(-) 
  • Edit

その他

脱・肩書き社会~僕らは名刺なしで生きられるか?

 ←TPPと一緒に、アメリカから恐怖の「悪法」と「危険食品」もやってくる!!映画「フード・インク」より →コンゴの路上音楽集団、世界一へ。
日本は、世界でも有数の肩書き社会です。「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」が気になる文化です。肩書きが、四六時中しかも一生涯つきまとう人も多くいます。しかし今後は、肩書きの弊害が目立つようになり、その社会的意義も急速に薄れるでしょう。名刺なくても充実した人生を送れる人に光があたる時代の到来です。

日本に行く時は、名刺を十箱もっていけ!
日本が高度な「肩書き社会」であることの象徴の一つに、「名刺を使う機会が多い」点が挙げられます。例えば、「会う前にメールで互いの名前、会社、部署、役職、連絡先を伝えてあったとしても、ご対面時には名刺交換」「互いに、この先会うことないと内心思っても、名刺交換だけは怠らない」「仕事中だけではなく、休日にも名刺を持ち歩かないと不安」…という人が多くいます。

また、多くの外国人にとって、日本の名刺文化はミステリアスです。とりわけ財宝を賜るかのように低姿勢で名刺を受け取り、これを両手で大切そうに扱うビジネスマンの姿です。日本の商慣習を外国人に紹介するガイド本の多くに、最初に名刺に関する記述があります。

「日本では、人と目が合った瞬間に名刺を交換する。その場に相手が10人いれば10人全員とだ」「日本人にとり、名刺は、単に名前や連絡先を仕事の関係者に伝えるための紙切れではない。肩書きを通し、互いの社会的立場や地位を確認しあう印籠のような役割がある」「名刺を有難く受け取り大切に扱う素振りをする必要がある。決して投げたり、折ったり、上にメモ書きしてはいけない」「名刺を忘れたとか切れたというのは、プロ失格で恥ずべき行為と見なされる。だから日本に行く時は名刺を沢山持っていけ!」…という具合です。

家、職場、冠婚葬祭、そして墓場まで
肩書きが、いかに深く日本人社会に浸透しているかを示す現象は、名刺以外にも、たくさんあります。例えば次の4つです。

 まず、人を肩書きで呼ぶ文化です。「僕はパパじゃない!君の夫だ。そして何よりも鈴木太郎(仮名)だ!」…これは家で、奥さんから「パパ」(広い意味で肩書き)と呼ばれ、外では、部下から「部長」、取引先から「○○社さん」と肩書きで呼ばれる中堅サラリーマンAさんが切れた場面です。

 一般的に、名前で呼び合う外国人、とくに欧米など個人主義が強い地域の人達の多くは、自分が肩書きで呼ばれると、個人の人格や尊厳を無視されているようで違和感を覚えると言いますが、Aさんもパパと呼ばれることに我慢できなくなったのでしょう。

 次は、石を投げると「先生」(広い意味で肩書き)に当たること。学校の先生に加え、政治家、弁護士、医者、芸術家、講演者、研修講師、各種コンサルタントから占い師まで、いたるところに先生がいて、彼らは、十把一絡げに「先生!」と呼ばれます。

 3つ目は、肩書きで埋め尽くされる冠婚葬祭。結婚される方、亡くなった方の肩書きと経歴紹介、届けられた花輪や電報の差出人、そしてスピーチに立つ人の肩書き紹介、参列者同士の名刺交換…このように個人的な行事の中に、肩書きが容赦なく入り込みます。

 最後は新聞の訃報欄(おくやみ欄)です。各界の著名人だけが肩書き入りで掲載されます。例えば「○○さん(元××社常務)が1日心不全のため死去」…まるで墓場まで肩書きを持って行けと言わんばかりです。

NYKを頂点にした肩書きピラミッド 
戦後日本では、NYK(N=難関、Y=有名、K=幹部)、つまり、「難関有名校を出た、有名な職種や
、企業の幹部」を頂点にした肩書きピラミッドが、イメージ的に形成されました。そして「ピラミッドを上に登るほど立派な肩書きにありつけて、仕事も生活も充実する」という定説、幻想、画一的な価値観が、国民に拡がりました。

 多くの親が、我が子にピラミッドの上を目指すことを勧め、「NYKを目指せ!」と気勢をあげる学習塾や予備校の力も借り、我が子を偏差値教育の最前線に送りこみます。こうした子どもは、やがて成人し、このピラミッドをより高く登りつめるための就活と昇進レースに時間とエネルギーを費やします。こうした親子サイクルが、既に2回転目に入っています(昭和初期生まれ→昭和20~40年代生まれ、昭和20~40年代生まれ→昭和60年代~平成ひと桁生まれ)。

さて、この肩書きピラミッドは、高度成長期には、社会全体にとってプラスの面がありました。この時代は、誰でもちょっと頑張れば、それなりの大学や会社に入れてそこそこの幹部ポストに就け、給料も上がりました。こうなると、皆でピラミッドを登って、親・親戚から喜ばれ、女の子からもモテる肩書きを目指そうじゃないかと上昇意欲も高まります。ひいては、これが日本の活力にもつながったと考えられます。

肩書きフィルターを通じ自分と相手をマッピング 
一般的に、欧米など個人主義かつフラットな社会の人達は、ワーク(仕事)とライフ(私生活)を切り離し、「組織・肩書き」よりも「個人・中身」を重視する傾向があります。従って、有名企業の社長であれ一国の大臣であれ、仕事場を一歩離れる、又はこうしたポストを辞任すれば、皆と同じ一市民という意識が本人にもあり、周りもこうした見方をします。

 一方、日本のような集団主義、階層社会かつ同質社会に生きる人達は、公私の境界線が曖昧で、人と会った時に「相手そのもの」よりも、集団社会での立ち位置としての「相手の肩書き」を先に見てしまう傾向があります。

 そして、意識的または無意識のうちに、肩書きというフィルターを通し、自分と相手の社会的な位置づけを、肩書きピラミッド上にマッピングします。例えば、「相手は7合目の東寄り、自分は5号目の南寄りか…」という具合です。こうして、自分と相手の社会的な上下関係や、相手の生活環境、行動パターン、知的レベル、年収レベル等をステレオタイプ的に判断します。

肩書き盲信者~あんな立派な肩書きの人が悪いことするわけないわよ?? 
上述した肩書きピラミッド上のマッピング行動自体は、単に集団性の強い階層社会で生きる人達に、一般的に見られる行動パターンであり、決して悪いことでも危険なことでもありません。

 しかし、肩書きピラミッド社会の危険性は、極端に肩書きに拘る人達が出てくることです。その中で最も質が悪いのは、自分も相手も、肩書き以外では見ることができなくなる「肩書き盲信者」です。

特に、「NYKなど肩書きピラミッドの上にいる人は、立派な人・頭がいい人、できる人…下にいる人はだめな人」という偏見的な教育環境で育った子どもが、そのまま大人になると要注意です。

 肩書き盲信者には、いわゆる立派な肩書きを持つ人(ピラミッドの上にいる人)もいれば、そうでない人(ピラミッドの下にいる人)もいますが、彼らに共通することは次の3点です。

 1つは、肩書き判断です。相手の中身(人格・価値観・実績・能力・意志等)をほとんど見ずに、肩書きで「あの人たちはこんな人」「あんな立派な肩書きの人だから大丈夫」「こんな肩書きしかない人だから気をつけよう」と相手にラベルを張ります。

 次に肩書き交友です。仕事でもプライベートでも、自分と同じか自分より上の肩書きをもつ人や組織とのお付き合いを好みます。例えばフェイスブックでも、友達を肩書きのある人で固める人がいます。

 そして「肩書きのためなら手段を選ばない姿勢」。個人としての倫理、正義、威厳が見えなくなった彼らは、自分が欲しい肩書きを得たり守るためなら、人を蹴落としたり法を犯してでも、これを実行する危険性があります。例えば、政・官・財の各界で、不祥事を起こす人の中には、この部類に入る人がいるでしょう。

肩書き症候群(肩書き依存症、肩書きマニア、肩書き恐怖症) 極端に肩書きに拘る人達の中で、上述の盲信者まで質が悪くはありませんが、奇妙な行動に走るのが次のような「肩書き症候群」に陥っている人です。

 まず、こっちが聞いてもいないのに、しかも週末のプライベートな集まりですら、「〇〇社で専務やっている」とか「××大学法学部を出た」と切り出す人達がいます。「それがどうしたの?肩書き以外に自分を表現できないの?」と聞きたくなります。まるで歩く肩書きマンです。一種の肩書き依存症にあると言えます。自分が偉いと勘違いしているのかもしれませんが、とにかく肩書きがないと不安で、人との交流もままならないタイプです。

 また、数種類の名刺を持ち歩く人もいます。しかも、それぞれ会社・組織名が異なり、役職名も会長、取締役、理事、特別顧問と様々です。TPOに合わせ使い分けるならわかりますが、誰にでも全種類の名刺を渡します。そして「僕はこれも、あれも、それもやっている」と、あたかも趣味で集めた各種の切手のように説明を始めます。まるで歩く肩書きマニアです。

 自分よりかなり上の肩書きの人に、挨拶する場面で、体が硬直し、名刺を渡す手が震え、額に汗し、ペコペコする人がいます。「相手は同じ人間です。あなたを食べたりしないし、あなたは何も相手に悪いことはしていない、もっと自然体になれば!」と言いたくなります。こうしたペコペコマンは、一種の肩書き恐怖症にあると言えるのではないでしょうか。

ひずみが表面化する肩書きピラミッド 
90年代以降の失われた20年の間、NYKを頂点とする肩書きピラミッドに、多くのひずみが見られるようになりました。その中で主なものを3つあげます。

 第1に、人材のよどみ(非流動化)による組織の高齢化と硬直化です。一旦ピラミッド上層部の肩書きに到達した人は、その味をしめ高齢になってもそこから降りようとしません。中には、肩書きが肩書きを呼び、複数の会社・団体の役員兼任という「肩書きの持ち合い」になることもあります。こうなると、ピラミッドの上層部は、高齢の肩書きマニアで埋め尽くされます。下にいる人達は上に行けず、組織の高齢化と硬直化が同時におき、めまぐるしく変化する市場環境への対応に出遅れることとなります。

 2つ目は、「肩書き」と「人格」にズレがあるエリート層の増大です。例えば、オリンパス問題で、犯罪容疑をかけられる旧経営陣は、数ヵ月前まではいわゆるNYKの立派な肩書きをもつ人達でした。ところが、この「肩書き」と彼らの「人格」との間に、大きなズレがあったことが明らかになりました。こうした「肩書き」と「人格」にズレがある人は、近年、政・官・財の各界で相次いでおきる不祥事の数から判断する限り、毎年増えているのではないでしょうか。

3点目は、間違えた肩書きパワーの行使です。例えば、大王製紙の問題で、特別背任容疑で逮捕された前会長は、子会社から借り入れを受ける際、口外しないよう子会社の役員に指示していたとの疑いがあるようです。これが事実であれば、間違えた肩書きパワーの行使の典型例です。

確実に進む「脱・肩書き社会」に備え名刺をしまってみよう
 世界は、日々猛烈なスピードで激変しています。「昨日の経験・知識・技術・モデルは、明日にはもう使えなくなる」と言っても過言ではありません。このグローバルな市場環境の変化に素早く対応できない国や企業は、その規模に関係なく、瞬く間に破綻の運命をたどります。今や、「安定雇用の大企業」「クビにならない公務員」というこれまでの定説は、日本も含め世界的に崩れてだしています。

 ここで、こうした破綻を避けるための基本的な2大インフラは、「スピード」と「創造」ですが、果たして肩書きは、この2大インフラ整備に必要でしょうか?

 答えは「いいえ、むしろ足かせ」です。幾重もの肩書きは、環境変化への対応を遅らせます。また、自由な環境が必要な創造活動には、肩書きは何の関係もなく、むしろ創造の芽を摘むリスクがあります。

 こうした中で日本も、スピードと創造を求め「脱・肩書き」に向かうグローバル社会に深く組み込まれています。その結果、戦後のNYKを頂点にした肩書きピラミッドの崩壊も進み、今後も「脱・肩書き」が急激に進むと予測されます。

 今からでも遅くありません。僕も含め、私たちは、肩書きと名刺を一旦引き出しにしまってみましょう。そして、個人(名前、人格・価値観・実績・能力・意志)として、充実した仕事や生活をするには、何が必要なのかをじっくり考える時が来ているのではないでしょうか。

永田公彦 [Nagata Global Partners代表パートナー]
関連記事



記事一覧  3kaku_s_L.png 政治
記事一覧  3kaku_s_L.png 暮らし
記事一覧  3kaku_s_L.png その他

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 現在非公開コメン卜投稿不可です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

【TPPと一緒に、アメリカから恐怖の「悪法」と「危険食品」もやってくる!!映画「フード・インク」より】へ  【コンゴの路上音楽集団、世界一へ。】へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。