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政治

世界王者の女性ボクサーは元脱北者 奇跡の陰に悲惨な現実

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2月24日の満月の夜、22歳のチェ・ヒョンミさんは韓国の首都ソウルで、韓国市民17人と共に大統領就任祝賀行事に参列した。同国で11人目の大統領に就任する朴槿恵氏が任期5年の門出を祝うために選んだ18人は、新大統領誕生の25日午前0時に合わせて普信閣(宝物指定)の鐘を突いた。

2004年に北朝鮮から家族と一緒に逃れ、「脱北女子ボクサー」として有名になったヒョンミさんにとって、この式典は記念すべき出来事だったとブルームバーグ・マーケッツ誌7月号が報じた。彼女の父チェ・ユンチュンさんは娘の才能を開花させるために自由な環境を与えることを決意。順調だった貿易業や首都平壌(ピョンヤン)の広さ330平方メートルの住宅、運転手付きの自家用車を捨てた。

そのヒョンミさんは今やボクシングの女子フェザー級世界王者だ。世界ボクシング協会(WBA)のタイトルを2008年に獲得すると、その後7回防衛に成功。8戦7勝1分けの戦績を残す彼女の夢は「世界で最も偉大な女子ボクサー」になることだ。

韓国に住む脱北者2万5000人のほとんどは、もっと小さな勝利のために今もなお闘っている。ヒョンミさん一家とは異なり、彼らは子供が飢えに苦しみ最愛の人が死んでいく絶望の中で飢餓と貧困を逃れてきた。彼らの危険な脱出ルートは中国を経由するが、そこでは「難民」と認められず、「不法入国者」と見なされる。

脱北者の7割を占める女性は人身売買業者の犠牲になる。脱北女性は中国人男性の結婚相手として売られる。米人権団体の北朝鮮自由連合(NKFC)によれば、中国から北朝鮮に送還された脱北者は拷問を受け、処刑される場合もある。

■ハナ院

韓国に住むことになる脱北者は、上昇志向が強く尊大といわれる韓国人と競争する準備が整っていない。北朝鮮人権データベースセンターのリポートによると、貧しくて教育水準が低く、虐待で心的外傷を負うケースも珍しくない脱北者の韓国での昨年の失業率は19.9%と、韓国人の2.9%を大きく上回っている。韓国の自殺率は10万人当たり34人と既に高いが、脱北者はその倍以上に達する。

1997年に始まったチェ・グミさん(30)の韓国への旅は4年続いた。彼女がたどり着いた時、そこで出会った人たちは彼女のアクセントをばかにし、人間の肉を食べたことがあるかとからかってきたという。彼女は過去を隠すために出身地をごまかした。米国人の両親を持つ韓国生まれの医師ジョン・リントンさんは「2万5000人を社会に溶け込ませることができないのに南北統一をどうやって実現するのだろうか」と問い掛ける。彼は北朝鮮をこれまで27回訪れた。

脱北者は韓国に到着すると、まずソウル近郊にある政府運営の定着支援施設「ハナ院」に入る。ここで3カ月間過ごし、クレジットカードの使い方や自動車の運転など生活に必要なスキルを学ぶ。5月のある晴れた日、4歳未満の幼児11人が昼寝をしている様子を先生3人が見守っていた。この平和な光景から脱北者が韓国へ向かう途中で遭遇したすさまじい混乱を想像することはできない。

■風刺画家

金正日体制下でプロパガンダポスターを描いて生計を立てていた画家のソン・ビョクさん(44)は、飢饉(ききん)に見舞われて初めて北朝鮮の残酷さを思い知った。2000年8月、食べ物を求めてソンさんと彼の父は豆満江を泳いで中国へ渡ろうとしたが、河の流れに父親がつかまってしまった。ソンさんは岸に引き返し、北朝鮮の国境警備兵に助けを求めたが、兵士らはソンさんを殴り、溺れていた父親は見捨てられた。

ソンさんは清津にある労働キャンプに連行され、3カ月がたつころには身体が弱って働けなくなった。キャンプ管理者がどういうわけかソンさんに砂糖3袋を渡して解放してくれた時、彼の体重は30キログラムを切り瀕死の状態となっていた。

それから2カ月後、北朝鮮の国境警備兵に怪しまれないように下着姿になり、小さな子供と釣りをしているように見せかけたソンさんは、岸から警備兵がいなくなった隙に泳いで中国に渡ることに成功。そこで中国朝鮮族のクリスチャンの家族に保護された。

■家族の餓死

ソンさんは韓国に行くために策を講じた。北朝鮮の友人の1人が韓国に住む親戚の詳しい情報をくれたが、ソンさんが親戚に友人のふりをして手紙を出したところ、親戚は中国に飛び、ソウルまでのフライトの費用を出してくれた。ソウルに到着するとソンさんは身元を明かし、謝罪した。

「私はとんでもないことをした」と罪悪感が消えないソンさんは「いつの日か私の命を助けたことに誇りを感じてもらえるような人間になると約束した」という。母と女兄弟が北朝鮮で餓死したことをソンさんが手紙と電話で知るのは3年後のことだ。

黒縁眼鏡をかけたソンさんは「世界で最も悲惨なのは飢えて死んでいくことだ」と話し、「このような助けが得られない状況に誰も置かれることがあってはならない」と語った。故・金正日総書記にマリリン・モンローの格好をさせ、スカートを押さえる有名なポーズを描くなど、ソンさんはポップアートで北朝鮮の体制を批判している。

■夢と現実

グミさんは北朝鮮の炭鉱地区・阿吾地で育った。1990年代に近所の人が餓死していく中、10代のグミさんは家族と一緒に凍結した豆満江を渡った。彼女は中国朝鮮族のコミュニティーで、韓国のヒップホップバンドや80年代のテレビドラマ「砂時計」のビデオを見つけた。このドラマは韓国社会を揺るがした民主化運動を題材にしたものだ。

「その内容は衝撃的だった。韓国に行って自分たちの目で確かめずにはいられなかった」とグミさんは当時を振り返る。

最初の試みは失敗した。家族は小さなボートに乗って中国を出発したが溺れかけた。中国人漁師に助けられて中国に戻ると、次の準備のために3年を費やした。今度はミャンマーで拘束されたが、グミさんの姉がタイにたどり着き、家族の釈放手続きを韓国大使館に要請。彼らが韓国に到着したのは2001年4月になってからのことだ。

ハナ院で3カ月を過ごしたグミさんは、韓国がビデオから想像したような華やかな場所ではないことが分かった。レストランでパートの仕事を見つけようとしたが、北朝鮮出身と分かると不採用になり、彼女は「周囲が変わることを期待するよりも自分自身が変わる決心をした」という。

ソウルの韓国外国語大学校を卒業したグミさんは07年に回顧録を出版。インターンとして働き始めたビョックサン・エンジニアリングでフルタイムの社員となった。韓国人男性と昨年結婚した彼女は「今は心がとても穏やかだ」と話す。

■つきまとう不安

韓国人に囲まれて生活する中で、脱北者は身辺の危険や経済的な不安に悩まされている。脱北画家のソンさんは韓国・江南の並木道通りで4月に個展を開いた。北朝鮮の激しい挑発が続く中で普段よりも多くの人がギャラリーを訪れたが、彼が作品を販売することはなかった。

WBAフェザー級世界女王のヒョンミさんはスポンサー探しに苦労し、脱北者であることにためらいがあるかもしれないと感じている。世界で認められるために米ラスベガスでの試合を夢見るヒョンミさんは「両方のコリアで生活できて私は幸運。ここから世界を目指したい」と未来について語っている。

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