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【 暮らし 】 記事一覧

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宮本常一先生の言葉

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地域の文化というものは、それだけの高さがある。
東京に向いてものを言うようになると、
知らないうちにランク付けされ、地域の人を卑屈にしていく。
そうすると、地域のもつ素晴らしい文化を、だんだん価値のないものにしていく。
これから100年後、子孫に誇れるものがあるかどうかを考えることが大切だ。
受け継ぐものは、新しいものと旧い(ふるい)ものを掘り起こしていくことだ。
けっして、政府などから、お金をもらってやるべきことではない。
遺すべき文化や、ものは、簡単に決めるべきではない。
事実の中にあるものを、丁寧に見つけ、すくい上げることが大切だ。
そして物事を決めるときは、みんなで車座になり、喋りながら決めるのがいい。
上下の関係なく、みんなの顔を見ながら、同じ視点で話し合うことが大切だ。
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遅い人、ジグザグに行く人……いろんな人を許容する社会が一等賞だ

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組織は涙を流さない。
組織は汗を流さないし、血も流さない。
涙や汗や血を流すのは、いつも、ひとりひとりの人間だ。
痛みを知る人、変わった人、泣いている人、
遅い人、ジグザグに行く人……いろんな人を許容する社会が一等賞だ。
そんな社会なら、もっと個性が、もっと飛び抜けた発想が、
もっとオリジンが生まれるようになれる。
と言っていた人がいた。

日本は、株高や円安などで、安定しているかにみえる。
しかし、良識派の経済専門家は、
「アベノミクスという麻薬が処方されているからであり、事態は深刻だ。中毒になる前に、麻薬はやめるべきだ」と指摘している。

戦後の高度成長期から、成熟期に突入した日本は、高齢社会、少子化、長期低経済成長という課題を抱えている。
それを自覚し、身の丈にあわせた政策転換をすべき時期ではないだろうか。

想田和弘氏が、
「日本の高齢化社会に即した政策転換」と「6つの提言」をしていた。
共感する部分も多いので、紹介したい。

1)経済成長は見限り、経済の成熟化を目指す
経済成長することはすっぱりと諦め、経済の成熟化を目指すこと。つまり経済規模を大きくすることより、中身の充実度を高めていくことが必要だ。

2)活動スピードをペースダウンし、熟練を目指す
老いている人ばかりなのだから、動作が緩慢になるのは仕方が無い。政治の世界では「迅速とスピード」なる言葉がもてはやされているそうだが、これは実際の日本にはそぐわない。むしろ熟練が必要である。いままで一年で無理をして片付けていたプロジェクトも、五年、十年かけて行うつもりが丁度いい。

3)成長戦略で痛めた部分に手当を施し、正常な生活基盤を取り戻す
例えば、ダムや道路、工場や発電所などの建設により、壊された自然を取り戻していく活動に注力し、資本と力を注ぐ。あるいは、経済成長の犠牲になり使い捨てられている労働者たちの復権と包摂、崩壊してしまった地域共同体の再生など、長年の無理がたたって生じたガタを癒すことなど、やるべき課題は山ほどある。

4)一国という規模ではなく、自分たちが住んでいる地方自治という見える単位で住みやすくする
国とい巨大なシステムを一気に変えようとするのは難しい。ただ地方自治という小さな単位での改革なら可能だ。現に杉並区などの行政は参考になる。杉並区の人口でも88万人住んでおり、小国に匹敵する。日本を変えるのではなく、自分たちが住んでいる目の届く規模で行えば、ずっとやりやすい。

5)住民の世界観や価値感の多様性を育むこと
住人や子供たちに、教育や芸術に触れる機会を増やしてあげることも必要だ。既成の世界観や価値観に風穴をあけ「世界の見え方」を更新し、リセットすることだ。

6)画一化から脱皮し、量よりも質をモットーにする
歳をとった身体は激しい競争に晒されるのは辛い。競争よりも恊働、収奪よりも支え合い、量よりも質をモットーとすることだ。結果的に、それが、画一化による息苦しさを和らげ、想像力や多様性を育むことにつながる。

どれも良識ある提案だ。

日本製品は、他国には見られない独自の技術を持った「町工場」よって創り出されている。まずは、彼らを支え、一日も早い技術大国ニッポンを再生することではないかと思う。

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明石家さんま「戦争や人殺しをアシストするため税金を払っているのじゃない!」

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俺は戦争のためとか、人殺しをアシストするために働いてるんじゃないって。そのために税金を納めてるんじゃないって言いにいったんです。

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ドイツがとうとう国債の新規発行がゼロに。日本は何を学ぶべきか

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01

ドイツのショイブレ財務相は2014年9月9日、ドイツ連邦政府の2015年度予算案について、新規国債の発行がゼロになる見通しであると述べた。旧西ドイツ時代も含め新規国債の発行の停止は46年ぶり。今後ドイツは無借金で財政をまかなえることになる。

ドイツ連邦政府の2013年度の歳出は約3078億ユーロ(約42兆4200億円)だった。これに対して歳入は2855億ユーロとなっており、財政赤字は223億ユーロである。14年度は財政赤字が67億ユーロに減少する見込みで、歳入と歳出はほぼ均衡する。

これによって新規の国債発行はゼロにすることが可能となる見込み。ちなみにドイツの歳入のうち税収が占める割合は9割に達している。ドイツは欧州各国に対し、財政健全化路線を主張しており、自国についても財政均衡を義務づける法律を制定し、財政再建に取り組んできた。

ドイツの政府債務のGDP比は、政府が保有する資産と相殺したネットの数値で約50%、米国が約80%、日本は約140%となっている。資産を相殺しないグロスではドイツが約70%、米国が約100%、日本は約250%となる。

ドイツが財政再建に成功しているのは、徹底した緊縮財政によるものというイメージも大きいが、好調な経済を背景に税収が堅調であることが大きく貢献している。一時は財政赤字が政治問題となっていた米国も、このところ急激に収支が改善しているが、これも持続的な経済成長による税収増の影響が大きい。

2000年から現在までの間、ドイツのGDPは2倍に、米国のGDPは1.7倍に拡大した。世界経済全体も同じような動きである。これに対して日本のGDPはほぼ横ばいとなっている。相対的には日本はかつての半分近くの所得になっていると考えることができる。これでは財政再建ができないのはある意味で当然のことである。

ドイツは日本と同様、製造業による輸出で経済を支えてきた国である。このところの高成長はユーロ経済の恩恵という側面も大きいが、徹底したリストラで製造業の高付加価値シフトを進めてきたことも、競争力維持に貢献している。

ドイツは他国に対する直接投資も多いが、実は自国に対しても同じ水準の投資を諸外国から受け入れている。海外からの直接投資がほとんどない日本とは、この点で大きく異なっている。

海外からの投資受け入れと、製造業の国際競争力は一見すると無関係に見えるが決してそうではない。海外から資本を受け入れ、競争環境にさらされた製造業は結果的に輸出競争力を高めるのである。日本とドイツを単純に比較することはできないが、ドイツから学ぶべき点は多いと考えられる。

http://blogos.com/article/94321/


◆メルケルノミクスVSアベノミクス

一国の首相がコロコロ変わる日本に比べて、国体強化のために連立政権などをとるドイツ。
2014年6月、英国・北アイルランドのリゾート地ロックアーンで開かれた主要8カ国(G8)首脳会議(サミット)で、ドイツのメルケル首相は、日本のアベノミクスを激しく批判した。

「デフレを脱却する必要は理解するが、日本は大変な財政赤字を抱えている」「金融緩和の出口戦略をどうするつもりなの」「労働コストが安い国から競争条件が不利になるという指摘もある」

メルケル首相は日本とEUの経済連携協定(EPA)締結交渉のカギを握る最重要人物でもある。しかし、ドイツ経済のエンジンである自動車大手フォルクスワーゲンが中国市場で日本のトヨタと競合しているため、ビジネス重視のメルケル首相は親日というより親中に色分けできるだろう。

◆メルケルノミクスとは

仏経済紙レゼコーが「アベノミクスかメルケルノミクスか、どちらの道をとるべきか?」というロランス・ダジアノ・パリ政治学院講師の寄稿を掲載したことがある。「アベノミクス」は数カ月間で効果を現し、今や4%の年間経済成長率が見込まれ、失業率は6月に3.9%にまで低下した。アベノミクスには欧州の政財界も注目しているが、多くのエコノミストは最後の賭けともいうべきリスクの高い政策だと見ている。

アベノミクスの対極に位置するのが、財政の均衡化、正統派の金融政策などを主軸とするドイツの経済政策で、これを「メルケルノミクス」と呼ぶことができるだろう。競争力向上のための構造改革だけがわずかにアベノミクスとの共通点となっている。

西欧諸国にとってアベノミクスは短期的には魅力的なモデルに見えるが、中期的に見た場合には危険なモデルであり、メルケルノミクスを見習うべきであろう。

◆日本が必要なのは、経済成長より財政再建

2014年度の日本国の歳入(税収)合計は、41兆円だ。それに対して、経済成長のテコ入れとして投入する歳出は195兆円となる。(歳出内訳:一般会計97兆円、特別会計100兆円)。この歳出の赤字補填分150兆円を、日銀がマネーを刷って、赤字国債を購入して賄っている。これが積もり積もって、国の借金は1200兆円になっている。

今後いまのまま赤字国債を発行し続けていくと、2020年には100倍のハイパーインフレになると予測されている。現在、日本国内の個人や、企業、銀行の預貯金をあわせると1600兆円といわれる。それがすべて失なれるのだ。

◆ハイパーインフレへの緊急施策

長期にわたる財政再建を中心に据えた専門家からなる「中央銀行」の創設
増税をためらう官僚や政治家に、財政再建を求める
自分たちが払った税金の使い道を自分たちで決める。自己統治を身につけるべき
毎年の財政収支を70兆円に改善する(消費税を35%にする)
消費税アップに加えて、低所得者の救済処置(例えばフードスタンプなどの食糧支援政策)を講じる必要がある。


それが望めない政府なら、金融知識のある人は、財産を外貨などに移し替えることが必要であろうか。




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アベノミクスだけでは復興できない 再生のカギはデフレ脱却・業界再編・女性活用

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家電業界は
顧客無視の独りよがりの技術開発にふけった挙句
低価格競争に陥った産業で
日本代表でも何でもない技術の意味を勘違いしている

◆日本はプレイヤーが多すぎる

韓国は1997年の国家破産の時に産業政策として
1業種1メーカという大胆な政策をとった結果

経済規模では日本の五分の一において
1社あたりの国内マーケットは
日本よりも大きくなった

◆日本は不幸の連鎖

トヨタが性能の向上分だけ価格を上げて
協力企業や素材メーカーにも分配するべきです

スイスのように
値上げしても売れるブランド商品を持っていて
高い人件費を払える国が繁栄するのです

日本は技術で勝ってビジネスで負ける構図です
トップリーダーが新技術に目を配って
それを使ったビジネスモデルを
考えておかないと
結局はビジネスで負けてしまいます

象徴的なのは
科学技術関連の会議で「防衛省」がリードするケースが少ない
例えば情報通信技術にしても具体的なニーズを
一番強く持っているのは「防衛省」の筈です
アメリカとの彼我の差を感じます

企業を取り巻く環境は
政府がある程度整備する必要がある
いわゆる「 六重苦」(円高、高法人税、TPPへの対応の遅れ、
製造業の労働規制、環境規制の強化、電力不足)の問題
とりわけTPPとエネルギー政策は緊急を要する

◆ドイツに学べ

注目しているのはドイツの会社法です

ドイツは日本やアメリカよりはるかに倒産件数が多いが
これは債務超過になった会社は
直ちに破産申請することを義務付けられているからです

傷が浅いうちなら救済の手も差し伸べやすい

社会構造人口減少が似ている
ドイツは「女性の活用」と「移民」で
人口減少を補っている

◆女性の活用

オランダでは30年前まで女性就労率が30%ほどだったが
70%にまで達してその分、内需が拡大している

ドイツがGDPに占める輸出の比率が40%程度なのに対して
日本は14%程度だということです
日本は基本的に内需主導で生きてきた国だと
知っておいた方がいい

英BBCが世界22カ国2万人超にアンケートをとった
自分の国が世界に貢献しているか
と聞かれたら
どの国も7~8割がイエス
中国人に至っては86%がイエスと答えているのだが
日本人ではなんと41%にすぎない

日本はソ連邦ではないのだから
政府がつまみをいじって
貨幣の供給量を調節すればOKという学者の幻想でなく

真の競争を生き抜いてきた企業から
地に足のついた提言が必要だ

企業や政府ばかりがシャカリキにやっても
この危機は乗り越えられない
国民の皆さんにも
日本丸という同じ船に乗っている当事者として

この危機と向き合う覚悟を共有していただきたい

人口2400万の北朝鮮での《棄民》は600万人と言われる
貧困率16%(公表)の日本での《棄民》は何千万人だろうか?
同じ船に乗った国民という名の当事者扱い晴れがましい
知的栄養は大丈夫かね?

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高倉健

暮らし

高倉健が死んだ。

高倉は福岡で育ち、父は炭鉱夫の取りまとめをしてした軍人だったという。
自身は、マージャンや賭博などしなかったが、仁侠映画を中心に活躍。くやくざ役を好演し、ストイックなイメージを確立した。

さて話は少し脱線し、やくざの話になる。

YAKUZAは、海外でもとして認識されて久しい。日本のヤクザとして代表的なのは山口組だろう。ここまで拡大したのは、三代目の田岡一雄の采配があったからだと思う。田岡が行った象徴的な采配のひとつとして、「縄張り」という概念を棄てたことにある。山口組傘下の組においても、縄張りを認めなかった。地元大阪のミナミにおいても、山口組系の組が三つも四つも重なり合い、たがいに競合しているという状態が作り出された。

この縄張りを無視するというポリシーを貫いたことにより、外部に勢力を拡大することができ、巨大化することができたのだ。そういう意味で、自由主義の国境を越えたグローバリゼーションというポリシーを持ったヤクザに変貌していった。

この革新的な山口組に対して真逆なヤクザがある、それは北九州の工藤會である。

工藤会は、みずからの縄張りにほかの組織が進出してくるのを断乎として許さず、友好関係にある組と連合を組みながら、孤塁な組織を守っている。

みずからの縄張りを死守すると同時に、ほかの組の縄張りを尊重する。だから進出してくるほかの組織に対して、縄張りの論理で断乎抵抗したし、自らも地勢的事情で山口県下関の一部に縄張りをもったことがあるだけで、北九州の縄張りの外に出ようとしなかった。山口組が全国にヨコに広がっていくのに対して、工藤会は北九州に残ってタテに深まっていったのである。

もともと工藤会は、炭鉱・鉄鉱の鉱山労働者が組員であった。
地底で過酷で危険な労働に従事する彼らの間に結ばれた親方・子方関係は、屈強で緊密なものであった。

1960年代初めまで地域全体が炭鉱・鉄鉱で成り立っていた九州においては、組以外の一般市民生活の中でも、役割と機能を持ちえたのである。人々が生きている上で起こるさまざまな対立や紛争を、法や国家権力に頼ることなく、「自力救済」という互助会的な機能も保持した社会的組織だった。これはいまも受け継がれており、工藤会と一般市民との絆は、ほかの地域に比べてはるかに強く、地域社会のなかに根をおろしている。

だから、福岡県警本部長に警察庁長官が就任して、工藤会を潰すことができなかった。ついには本部長が「一般市民のもっと反暴力団の意識を持ってもらわないと困る」との泣き言をいったほどだった。

さらに工藤会は、1992年の暴対法に正面から正面から、警察と対峙した。
ヤクザ組織は、自主的に発生した後、かならず国家権力との関係を確定することが迫られる。日本近代では、国家が一定の範囲でヤクザを容認しながら、みずからの采配下で先兵として使うという関係も築かれた。60年安保では、佐藤政権は、デモ隊鎮圧のために、ヤクザを使い鎮圧したことがわかっている。

高倉自身は、仁侠団体とも交流があったようだ。

実際、山口組三代目・田岡一雄とも親しく、田岡を江利チエミとの結婚披露宴へ招待したりしていた。
ひょっとして、高倉は、福岡の工藤会へのつながりがあったのではと思う。
いつか確かめたいと思っている。

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「女子の貧困」最大のタブー!セックスワークと知的障害の関係

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『最貧困女子』(幻冬舎新書)


格差社会、子どもの貧困、貧困の連鎖。ここ数年、これら貧困が大きな社会問題となっている。同時に女性の貧困もさかんに取り上げられるようになり、なかでも今年1月に初回放映された「あしたが見えない~深刻化する“若年女性”の貧困~」(『クローズアップ現代』NHK総合)は大きな話題となった。また、この問題を取り扱う書籍も多く出現している。

しかし貧困女性の存在がメディアなどで取り上げれば取り上げられるほど、そこから“除外”される女性たちがいる。それがセックスワーク(売春や性風俗産業)に埋没する「最貧困女子」だ。

その実態を描いたルポ『最貧困女子』(幻冬舎)は、衝撃的だ。著者は犯罪現場の貧困をテーマに、裏社会や触法少年・少女たちを取材し続ける鈴木大介。本書が衝撃的なのは、セックス産業に従事する貧困女性の問題はもちろん、それ以上の“タブー”にまで踏み込んでいるからだ。それは「精神障害・発達障害・知的障害」である。

「これを挙げることは差別論に繋がりかねないので慎重を要するが、これらの障害は『三つの無縁』(家族の無縁・地域の無縁・制度の無縁)の原因ともなっている、無視できない問題だ」たしかに、精神障害は貧困や売春とともに語られることも少なくはなかった。しかし、知的障害にまで踏み込もうとした貧困ルポはほとんどないと言っていい。本書はこのタブー視されている問題に切り込んでいく。

著者は何人もの貧困女性に話を聞いている。例えば、最終学歴が高校中退の小島さん(仮名/23歳)。家賃を滞納してネットカフェ難民になっていた。時給900円のバイトで食いつないでいる自らを「対人恐怖症? 視線恐怖症かな、わたし人と目があうとパニックみたいになるんで」と語る女性だ。

幼少時からそりが合わなかった母親は、彼女が高校3年生の時、父親の死をきっかけに「愛犬を連れて家を出た」。母親から捨てられた彼女は、その後必死でアパートを探したが、結局家賃滞納で逃げ出した。闇金からも借金をしているという彼女に緊急性を感じた著者は、生活保護やゲストハウスなど様々な方法を説明する。手続きを手伝い、転居費用も無利子で貸してもいいとさえ思った。しかしそうした説明も彼女にはぴんとこない。

「どうにもこうにも小島さんの脳には言葉が染み込んでいかないようだった」
その実感が、事態の複雑さを表している。小島さんは、生活保護に関しても、連絡先さえ知らない兄たちに迷惑をかけたくないとかたくなだ。保護を受けるのに「迷惑をかけることはない」といくら説明しても伝わらない。彼女を食い物にしようとする闇金業者に対して「恩人」だとさえ言う。そして3週間後、彼女は失踪した。

貧困問題は未婚女性だけのものではない。母親たちも蝕まれている。2児を持つシングルマザーの清原さん(仮名/29歳)。出会い系サイトの売春で生活している。親から身体的虐待とネグレクトを受けていたと思われる彼女は、身長は150センチ未満で、丸々と太っていた。風俗店の面接でも「整形とダイエットをしてから出直せ」と怒鳴られた。精神科に通い「泣き叫ぶ子供たちの前で(手首を)切っちゃうこともある」という。

著者は、彼女たちを取材していくうちに、貧困とセックスワーク、そして障害との関係は無視できない問題だと捉えるようになった。そして“明確”に知的障害を抱えているという女性たちへの取材を試みる。しかし、それは困難を極めた。例えば、出会い系サイトで口腔性交をしているという23歳の女性は、生育歴も話せず、住民票という言葉の意味も理解できなかった。つまり「会話も困難」だったのだ。

だが、女性たちを搾取する側の話を聞くと、彼女らがおかれている残酷な状況や、周囲がどんなひどい扱いをしているかがわかってくる。
「いわゆる三大NG現場(ハード SM、アナル、スカトロ)にいる。特にスカトロのAVに出ている女優の半数は知的障害だ」(AVモデル関係者)
「障害のある女性を金にするなら乱交がいい。乱交イベントの企画業者はまだまだたくさんあって、普通の女性は精神的に壊れる前に肉体的に壊れるが、障害者の女は頑丈」(援デリ業者)

しかし、こうした女性たちは、行政や福祉を頼らないし、また、頼れることも知らない。ときには行政に不信感や敵愾心すら抱いているケースもある。そうしてセックスワークに「捕捉」されていくのだ。

「いわゆる手続き事の一切を極端に苦手としていた。(略)行政の手続き上で出てくる言葉の意味がそもそも分からないし、説明しても理解ができない」
婦人保護施設の関係者によれば、「彼女たちは継続的な支援をするのが難しい対象」のようだ。困窮したりトラブルがある時だけ施設を利用し、ふといなくなってしまったりするのだという。

最もケアすべき存在であるはずの彼女たちは「安直に福祉の対象として想像するような、『おとなしくちょんと座って救済を待っている』障害者」ではない。かなり重度の障害を持っていても、福祉から外れ、セックス産業で生計を立てている。著者は考え込む。

「知的障害の作業所で小銭を貰うのか、自分の力で稼いでおしゃれするのか? 知的障害の子だっておしゃれはしたいし遊びたい」
 貧困問題を語る時、しばしば「自己責任論」なる論理が跋扈する。だが著者は、それは「戯言」であり、「自己責任論など、絶対にさしはさむ余地はない」と言い切る。

他にも本書では、未成年少女たちの貧困、ソフトヤンキー、セックスワーカーの間での格差など、様々な「最貧困女子」の問題が取り上げられている。しかしその中でも障害、特に知的障害とセックスワークの関係は考えさせられるものだ。その現実を直視することは、絶対に必要不可欠なことだ。たとえタブーであったとしても。だからといって、問題がすぐに解決なんてするわけがないし、本書もその明確な解決策を提示しているわけではない。

しかし、貧困を「哀れみと上から目線」で語るよりも、よっぽどまともだ。
「『最貧困女子』を、忘れないでほしい。見捨てないでほしい。見下さないでほしい」
 著者のこの言葉こそ、問題の本質を衝いている。

http://lite-ra.com/2014/10/post-552.html

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未来を担う子どもたちへ(小出裕章)

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2014年3月になりました。ちょうど、福島第一原子力発電所で事故が起きてから、丸3年になろうとしています。この間、私は毎日を戦争のように過ごしてきましたし、振り返ってみると、あっという間の出来事でした。

ただ、3年経ったにも関わらず、事故はまったく終息していません。

未だに放射性物質が福島第一原子力発電所の敷地から、空へ、海へ、流れていっていますし、敷地の中ではたくさんの労働者たち、それも東京電力の社員ではない、下請け、孫請け、そのまた下請け、8次、9次、10次と続くような下請け関係と聞いていますが、最低賃金すらもらえないような労働者たちが、放射能と向き合って、事故をなんとか終息させようと苦闘を続けています。

しかし、残念ながら事故を終息させるまでには、あと何年かかるんだろうか、何十年かかるんだろうか、あるいは何百年なんだろうか、と思うようなことが今現在続いています。

そして、敷地の外では、10万人を越えるような人たちが、ふるさと、生活をすべて奪われて、流浪化してしまうということになっていますし、その周辺にも汚染地帯が広がっていて、この日本という国がもし法治国家だと言うのであれば、放射線の管理区域に指定して、一般の人々の立ち入りを禁じなければいけないというところが、おそらく1万4千平方キロメートルほど広がってしまっています。

東北地方と関東地方の広大なところを、もし法律を守るというなら、無人にしなければいけないほどの汚染なのですが、今現在、数百万人もの人々、子どもも赤ん坊も含めて、そういう場所に捨てられてしまっています。

私のような放射能を相手にして給料を貰っている放射線業務従事者という人間、そして、大人であれば、まだそういうところで生きるという選択はあると思いますけれども、今回の事故を引き起こしたことに何の責任もない子どもたち、そして、被曝に対して大変敏感な子どもたちが、今現在も汚染地帯で被曝をしながら生活しています。

それを思うと、なんとも無念ですし、3年間一体何ができたのだろうかと、自分の無力さが情けなく思います。
しかし、これからもまだまだこの状況が続いていくわけで、今、私たちに何ができるかということは考えなければいけないと思います。

私が何よりもやりたいことは、子どもたちの被曝を少しでも少なくする、ということです。
そのために一番いい方策は、子どもたち、あるいは大人も含めてですけれども、汚染地帯から避難させるということです。ただ、人間というのはみんなそれぞれの土地で、それぞれ周りの人たちと一緒に生活を送ってきました。簡単に避難という言葉を使ってみても、なかなかできないし、やったところでものすごい苦難を背負うことになると思います。

本来であれば、この事故を引き起こしたことに責任がある東京電力、あるいは日本の国家が、人々をコミュニティごとどこかに移住させるということを私はやるべきだと思いますし、これからもそれを求めていきたいと思います。

しかし、今現在日本の国、自民党という政権がまた返り咲いたのですが、その政権はこれからも原子力を進めると宣言していますし、そのためには福島の事故を忘れさせてしまおうという作戦に出てきています。そういう日本の政権が、人々をコミュニティごと逃すというような選択は、おそらくあり得ないと思います。残念ですけれども、たぶんできないだろうと私は思います。

それならどうするかということですけれども、子どもたちをある一定の期間でもいいので、疎開させる、夏の一月でもいい、春の一週間でもいい、放射能の汚染の少しでも少ない場所に移して、そこで泥んこまみれになって遊べるようにする、草の上に寝そべってもいいというような環境を子どもたちに準備をするということが必要だと思います。

そのことは、今、日本の中ででも、たくさんの人たちがそれをやってくれて、これまでもやってくれてきましたし、これからもやってくれると思いますし、海外からもそういう支援の手が伸びていますので、少しでも多くの子どもたちを放射能から遠ざけて、そして、子どもらしく遊ばせるということをやりたいと思います。
でも、それもまだまだ限られたことでしかありません。

やはり、子どもたちも含めて汚染地帯で生きざるを得ない状況はこれからも続きますので、次にやるべきことは、汚染地帯の中で、特に強く汚染している場所があちこちにあります。ホットスポットとかマイクロスポットとかの場所が平均的に言えば、あまり汚染の強くない地域にも、そういう場所が存在していますし、子どもたちがそういうところで遊んでいることだってあるだろうと思います。

どんな場所がどれだけ汚れているかということを丹念に調べて、子どもたちが時を過ごすような場所からは汚染を除去するということが必要です。

今、日本では除染という言葉が使われて、除染をすれば環境がきれいになるという幻想がふりまかれていますけれども、残念ながら除染はできません。私たちが汚れと読んでいる正体は、放射能です。放射能は人間がどんなに手を加えても消すことができないのです。

除染など決してできません。
でも、子どもたちが放射能に触れてしまうのであれば、その放射能をとにかくどこかに移す、子どもたちの場所から移すということは必要だろうと思います。

つまり、放射能を除くのではなくて、移動させる、私はそのため移染という言葉を使っていますが、子どもたちの場所からとにかく放射能を移染するということを汚染地帯もそうですし、汚染が少ないと思って安心している場所でもホットスポット、マイクロスポットはありますので、移染という作業をしてほしいと願います。
次に重要なことは食べものです。

今現在、東北地方を中心にした食べものが汚染されています。日本の国は1キログラムあたり100ベクレル以下なら安全であるかのように言って、何の規制も無いまま、食べものを流通機構に乗せてしまっています。
しかし、この日本の国で、普通の食べものは、福島の事故がある前は、1キログラムあたり0.1ベクレル程度しか汚れていなかったのです。

1キログラムあたり100ベクレルというのは、事故前の1000倍もの汚染を安全だと言って、市場に出回らさせるとうことになってしまっているわけです。そんなことは到底私は許せないと思いますし、特にそんな汚染のものを子どもたちに食べさせることは許せないと思います。

子どもたちが食べる食べもの、例えば、学校給食、というようなものは、徹底的に汚染の少ないものを調べて、子どもたちに回すということを私はやりたいと思います。そのためには日本の国家が本当は動かなければいけないのですけれども、残念ながら今の日本の国家、デタラメな国家ですので、子どもたちの学校給食を司っているそれぞれの自治体がやはり立ち上がって、子どもたちを守るということをやってほしいと思います。

最後に若い人たちに一言お詫びを申し上げたいと思います。

私は大きな事故が起きる前に、原子力発電所を止めたいと思って生きてきましたけれども、残念ながら私の願いは届きませんでした。大きな事故が起きてしまって、日本中、あるいは世界中に放射能汚染が広がってしまいました。

私には時間を戻す力はありませんので、この汚れた世界で生きるしかありません。ただ、私はあと10年、20年で死んでしまうと思いますけれども、若い人たち、これから人生を刻んでいく人たちに対しては誠に申し訳ないことだと思います。

皆さんが大きくなって大人になったときに、福島の事故を防げなかった責任というものをたぶん私たちの世代に問うだろうと思います。

問われて仕方がないことを私たちの世代はやったわけですし、まずはお詫びをしたいと思いますし、残りの人生で何ができるかということを考えながら、私は生きたいと思いますし、将来の皆さんからどうやってお前は生きてきたかと問われたときに、私なりにできることはやったというように答えたいと思います。

ありがとうございました。」

小出裕章(こいでひろあき)氏 「未来を担う子どもたちへ」

http://www.at-douga.com/?p=12296

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ココロに刺さる般若心経(ロックンロール風現代語訳)

暮らし

般若

真言宗、天台宗などの仏教宗派が使用している「般若心経」だが、
ロックンロール風に現代語訳してみた。
奥の深い、ココロに刺さる文章になった。
少し長いが貼付けてみた。

-----------

超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ。
もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ。安心しろよ。

この世は空しいモンだ。
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある。
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

この世がどれだけいい加減かわかったか?
苦しみとか病とか。そんなモンにこだわるなよ。
見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。

揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。

先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ。
苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな。
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな。
それができりゃ涅槃(ねはん)はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ。
ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。
この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい。
細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる。
そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。

気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。

いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

心配すんな。すべてうまくいく。
大丈夫だ。気にするな。

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秋山晶というコピーライター

暮らし

秋山晶は、キユーピーをはじめ様々な企業やブランドの広告を作り続けてきたコピーライターだ。数々の名キャンペーンを手がけ、そのキャリアが50年となったいまも、現役の作り手として一線で活躍されている。
コミュニケーションの原点や、発想方法などを聞いてみた。

◆考えているのは社会ではなく人間のこと。それも身近な人たちのこと

秋山さんは時代とともにUP DATEし続けている希有なクリエイターだと思います。いくつになっても書くものや発想がフレッシュで古くならないのはどうしてですか?

秋山「思想がないからじゃないですか? 僕は空白みたいなものなんです。ものを作る人はだれでもそうだと思いますが、結局、僕が考えているのは、社会のことではなく人間のこと。それも身近な人たちのことですね。そういう人たちから入ってくる生の情報をインプットしているから、極めて少ないデータでアウトプットができるのかもしれない。何千、何万人ものデータを取るやり方もあると思いますが、それは数字であって人間ではないですから」
「どんどんシンプルにしていくこと。そうすれば自分のIDができてきます」

いまの時代、情報やモノが多すぎて、その中から何を選べばいいのかわからないシーンも増えている。
自分のスタンダードを見つけることは難しくなっています。


秋山「とはいえ、一人の人間が反応できる情報ってそんなに多くはないでしょう。情報に振り回されていると思う人は、“自分が何を好きなのか?”を一度じっくり考えてみればいいんじゃないでしょうか。方法論としては、よけいなものを削って
どんどんシンプルにしていくこと。そうすれば自分のIDができてきます。もうひとつ大切なのは“空白に向き合う”こと。たとえば未来は空白ですよね。空白って不安なものだから、人はつい『昔はよかった』と思いたくなるものだけれど、それはいまの自分がイメージする昔にすぎないんです。そのスタンスからは新しいものが生まれません」




◆むしろ時代から離れてるんですよね、僕は

秋山さんご自身は何がお好きなんですか? 本や映画、音楽など幅広いジャンルをカバーされている印象があるのですが。

秋山「僕はなんでもふつうなんですよ。本や映画は好きだけど、ふつうに好きなくらいで。観たり読んだりしたものが、ほかの何かとジョイントすることはあります。こないだ芥川賞になった『春の庭』を読んだのですが、小説からほかのものを連想するんですよね。この小説は写真に似ているといったように。実際これは写真集の話ですが、小説の文章自体が非常にコントラストが弱くて、写真で言うとひとしぼりくらいオーバーになっているような文章なんです。読んでいてそれがとても快適なんですよ」

こういう具合に、話題の作品や最新カルチャーはいち早くチェックされたりしていて、尋常じゃないふつうさに驚かされます(笑)。時代への感度が高いというか…。

秋山「むしろ時代から離れてるんですよね、僕は。時代の中にいないんです。上昇気流の中にいるとか、時代の渦の中にいる感覚を持ったことがない。ずっと前からそうだったんですけど、時代をただ見ているというか。たとえて言うなら“木”みたいなものかもしれない。みんな僕の下を通り抜けて行く。色んな方とある時期一緒に仕事をするんだけど、僕自身は動かない。そして僕を通り越すとみんな偉くなっていく。なんででしょうね?」
「説明的なものは伝わらない。コピーは結論が出ちゃうとダメですね」

いまのお話から「時代なんか、パッと変わる」という秋山さんの書かれたコピーを思い出したのですが、一歩引いた目でモノゴトを客観視することが秋山さんのスタンダードであり、それがご自身をUP DATEする力につながっているのではないでしょうか。

秋山「それはわからないけれど、コピーを書くときでも、もう一人の秋山がサジェスチョンするっていうのはありますね。ここはこうしたほうがいいんじゃないかと。映画の『ベルリン・天使の詩』で、天使が街を見守っているようなものでね。そうして最初に書いたもののブロックの位置を変えたり、言葉をどんどん削って行く。残るのは半分くらいですよ。小説でもそうでしょうけど、空白があるほうがテンポがよくなりますよね。説明的なものは伝わらない。たとえば『るろうに剣心』は面白い映画だと思いますが、3作目より2作目のほうがよかった気がするのは、3作目はファイナルだからここで話を収めないといけないし、いままでのエピソードも説明しなきゃいけないということがあったのかもしれない」

コピーは緑のペンで書かれるそうですが、それはどうしてでしょう?

秋山「子供の頃から緑が好きだったんです。第一稿は緑のペンで書いて、ブルーで修正します。するとどこを直したかわかります。それでもう一回緑で書いて、最後に2Bの鉛筆で書いたものを出力してもらいます。書き直しが多いんですよ。ひとつ仕上げるのに4~5回は書いてる。そうしないと起承転結になってしまうから。コピーは結論が出ちゃうとダメですね。読んでくれた人が、そこから何かを思い出してくれるのがいいコピーだと思います」



◆イメージはフレームワークから生まれてくる

秋山さんはコピーを書くと同時に、写真や映像を含めた表現全体をディレクションされているのですが、コピーライティングとクリエイティブディレクションとで違いはありますか?

秋山「ぜんぜん違います。クリエイティブディレクションの場合、まずは商品や企業に応じた枠を作るところから始めます。簡単に言うと、キユーピーマヨネーズなら『日常』という枠から考えていきますし、ジャック・ダニエルなら『見たことがないアメリカ』という枠ですね。この枠はとても大切で、写真でも映像でも表現にはなんだってフレームがあるように、イメージはフレームがあるからこそできる」



インターネットやデジタルの表現についてはどう考えていますか。

秋山「インターネットは別次元の世界のような気がします。ネットには空間がない。スペースの認識ができませんから枠が作れないんです。押井守さんの『攻殻機動隊』を観たり、本もずいぶん読んだけど、ネットがまだあまり普及しておらず、みんなもよく知らない頃のほうがああいうものは面白かったんじゃないでしょうか。草薙素子(※『攻殻機動隊』のヒロイン)はネットと一体化しましたよね。デジタル表現について言うと、この領域のクリエイティブをする人の技術が高くなれば、新しいスタイルのクールなエモーションが出てくるだろうと思っています」
「フィジカルなコミュニケーションが大事だと思う」

「余白」や「空間」といったワードを何度かおっしゃったのが、お話を聞いていて印象的でした。

秋山「何もない場所が好きなんです。クルマで走っていてラジオが2時間も入らないようなユタ州の砂漠とか。東京に生まれたからでしょうね。日本でも北海道なんかに行くといいなあと思います。平地の広い畑の中に、一列になった防風林があるような風景を見ると気持ちがいい。ニューヨークもいいけれど、それはまた別のよさでね。あと、小説や映画より音楽のほうが僕は好きですね。なぜなら音はフィジカルだから。会社の行き帰りによくラジオも聴いていますが、音声で聞くとすごくよくわかる。書類なんかは読んでもちっとも伝わらないでしょう? やっぱり人間の生身のコミュニケーションというものは大事だと思います。ラブレターもラブレターという枠を前提にしているから成立するのであって、それがないとエモーションも届かないわけだから」

最後にもうひとつご質問を。秋山さんはコピーライターであると同時に、ライトパブリシテイというクリエイティブ・カンパニーのCEOでもあるわけですが、企業の取締役としてはどんなキャラクターなんでしょう?

秋山「社員には特に何も言いません。会社で短パンはいけない、ビーサンもダメくらい。あと社員同士のバレンタインギフトは禁止。お返しが大変ですから(笑)」





ソース
http://www.diastandard.com/journal/2014topic02shoakiyama/

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【うっかり送信】思わず笑ってしまったメールの変換ミス10選

暮らし

送った後に気付くとヤバイ…!


時すでにお寿司。やっちまったな誤変換を10個ピックアップしてみました!



No.1




No.2




No.3




No.4




No.5




No.6




No.7




No.8




No.9




No.10




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ヘンなものを取り入れ 崩すことが好きな日本人(絵師 山口晃)

暮らし

以前、仕事をご一緒したこともある「山口晃」画伯の「ヘンな日本美術史」という本が、画家として初めて「小林秀雄賞」を受賞した。

山口さん自身、遊び心とエスプリを持ち合わせているユニークな人だが、
この本は学術書に近く、
・浮世絵や、鳥獣戯画にみられるようなオリジナリティ溢れる日本絵画が、明治以降、洋画の遠近法などの影響を受け、魅力がなくなってしまったこと。
・日本独自の美意識と、取拾選択から学ぶヘンな文化があること
などを、画家の視点から書いたものだ。

面白いので紹介してみる。


◆ヘンなものを取り入れ 崩すことが好きな日本人(絵師 山口晃)

日本文化にはオリジナリティがなく、全部大陸の模倣ではないかと言っている人もいる。しかし調べてみると、ちゃんと取拾選択は行われている。

例えば、飛鳥・奈良時代の建築などでは、さまざまな様式を割と節操なく取り入れている。
法隆寺の建築様式は、均整がとれていて力強くてよいと言われているが、裏を返せば、カクンカクンとして心持ち硬い。「すごくいいけれども、カタいよなー」ということだったのか、その後の建築物には、法隆寺様式を取り入れられず、もう少し優雅な当たりの柔らかい建築に変わっていった。

しかし、まったく使えないから捨てられていくかと云うとそうでもなく、最初に粗い網にかかって節操なく採り入れた物を、時間をかけて取拾選択して、何代かを経て“こなしていく”ことを行っているのだ。これこそが日本文化の「オリジナリティ」の文化だと思う。

◆そもそも、日本人はヘンなものを取り入れるのが好きな民族

例えば、お茶も中国から伝わったものを、日本独自に発展させたものである。
茶器一つをとっても日本と中国とでは大分違う。中国ではシンメトリカルなものが好まれ、瑕(きず)のないものが良しとさている。茶杓にしても、中国では銀や象牙で作れてており、すっと奇麗に伸びたフォルムをしています。しかし日本では、それをすす竹で作ったりしている。このように材料からしてまず外してくる訳です。しかも、竹の節をわざと残して、それを目立たせるかのように節の裏を削って「蟻腰(ありこし)」といっています。

何をわざわざそんなことをしなければいけないのかと、思う人もいるのでしょう。だけど、外すことで中心からの距離が生まれ、それにより「動き」を含んだ「静止した動態」とでもいうべきものが現れ、それがよしとされているのです。

さらに、この節、すなわち腰の位置をどのようにずらすかで、櫂先(かいさき)と呼ばれる先の部分をどのように跳ねさせるか、その部分のこだわりにしびれたりします。
この「しびれ」が分かる分からないという点については、やはり民族の特徴があって、日本人は、この「崩し」の価値をかなり早い時期から理解していたようです。

茶室などを見ると基本的には、柱を見えるように残しておくことが多いのですが、それにより非常に強い垂直性と規則性が部屋の中に生まれます。さらに畳の目なども真っ直ぐに並んでいます。そうした中で、茶器などの道具は崩します。そうするとその崩しが生きてきます。へなへなの茶碗や、節のついた茶杓といったものを洞窟の中に置いても、汚いだけで何の意味もありません。

日本人は、何でもかんでも採り入れたのかということではなくて、美意識が確率されており、中心軸が分かっていたから、崩すこともできたのです。見えない中心軸のようなものがあって、そこからどう外して展開していくか。日本人は大きさや色、形をいったものから、それが在る座、主客を含めて違う次元のものでギリギリのバランスを取ることに長けているのです。

◆「鳥獣戯画」から感じる日本人の美意識







教科書などで「鳥獣戯画」という平安時代から鎌倉時代に描かれた、甲乙丙丁の四巻からなる絵巻物が紹介されています。甲巻では、擬人化された猿や兎、鹿、狐、蛙などが遊んでいる様子が描かれており、動物たちや自然の風景を描く墨の線が、迷いがなく、かつ伸びやかで素晴らしいものです。

ぱっとみるとよくできている絵巻物なのですが、私はこの「上手でございます」的アピールが、やや退屈に感じていました。

しかし、ある美術館において原画を拝見する機会があり、考えを改めました。
まず、驚くほど墨が綺麗なのです。

墨で描かれているのだから墨一色だろうというのは大きな間違いで、ガラス絵を見ているような透明度と色の奥行きが感じられます。ザザッと岩を描いたような荒れた一筆。その墨がスーッと吸い込まれるように、画面の上に定着されています。よほど粒子の細かい墨なのでしょうか、黒というよりは青みがかっています。それが驚きでした。

「鳥獣戯画」に代表される墨と線と塗りだけで描かれた絵を白描画と呼びます。起源は大陸で、仏画の下図が始まりだったと云われています。奈良時代に日本に渡り、平安時代になると「源氏物語絵巻」や「枕草子絵巻」で盛んに描かれるようになりました。

白描画の特徴は、墨で描かれていることですが、画面構成が、イメージよりも、平面として成り立たない部分がある点です。いわゆる「平面のプロフェッショナル」というべき、画面というものだけで勝負している感があることです。

ぱっと見た時に、広場に人がいるという空間よりも、線である、墨である、といった画面そのものが最初に目に入ってくるのです。絵というのもが現実の空間を写すものだとすれば、例えば「奥行きを出すためには、ここに線がなければならない」と考えたりするものなのですが、それよりも画面構成の心地よさを優先してしまっている。奥行きなんかどうでもいいから、まずここに墨を入れないと間が抜けてしまう。そのことが重要だったのかもしれません。

絵というものは、目で見える三次元の実物を、二次元に置き換えることです。そこにはある種の「変換」が必要になってきます。ただ「写せばいい」というのではありません。実物をよく見て定着することは重要ですが、一方で、頭の中のイメージを置き換えることが、別のところに行ってします。

明治以降の近代絵画では、遠近法やパースなどを使って、意識的に三次元のイメージを、二次元置き換えます。しかし頭の中では、「鳥獣戯画」にあるような、ある一瞬の1シーンが記憶され、バラバラな絵具の筆致の集まりが、離れてみた時に溶け合って一つの空間が現れます。こういう快感、遊びの要素を楽しんできたのが日本人でした。

白描画は、絵の中で白を再現する際には紙の白を残すしかない。そうすると油絵のように色を重ねてから白をのせることができません。最初から白を残す部分を頭のどこかに置いておく必要があります。逆に、白く残す部分以外を描くことによって画面を仕上げることをしなければなりません。

白描画は、色だけの世界を目指した印象派の画家たちと共通するのではないかと思います。
印象派の絵画も、カラーですが、ひと塗りの荒さや塗り残しから覗くキャンバス地が画面の物質性を意識させる点において、白描画の紙の白と墨が目につく状態と似ているのではと思います。

白を後から塗れない不自由さを、むしろ面白さに変えていう。そのために工夫や技法を生み出していく。明治時代に至るまで、この墨と筆遊ぶということを自然に日本人は楽しんでいたのです。

私が日本人だから贔屓目に見ている部分もあるかと思いますが、西洋人や中国人から見た「日本美」というものは、奇妙に見えるものもたくさんあると思います。

多様化というのは、何も変えることばかりではありません。昔からあった文化や、文学、風俗などを継承し、伝えていくことも、日本人として大切ではないかと感じます。

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日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか(矢部宏治)

暮らし

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか(矢部宏治・著)を読みました。
→ 立ち読み版
この本を読むといろいろなことがわかります。

「なぜ日本は米国の属国なのか」
そういうふうに協定で取り決めたから属国なのです。

「なぜオスプレイは我が物顔で日本を飛び回れるのか」
 → 日米地位協定があるからです。

「統治行為論とはなにか」
→ 日本の政府が安保に関することについては裁判所ではなくアメリカの官僚に判断を仰ぐという意味です。(このように解釈した法律書はないでしょう。しかし、実際はこの本に書かれている通り、統治行為論という憲法学の用語は、「日本はアメリカの属国なのだ」ということと同義です)

「なぜ日本は脱原発の議論が進まないのか」
→ 日本が原発を始めるときに日米原子力協定という二国間協定を米国と結んだからです。

この本の著者の矢部さんは、もともと出版仕掛け人として孫崎享氏の『戦後史の正体』を皮切りに、『日米地位協定入門』など合計三冊の本をプロデュースした編集者です。今回、それらの本を踏まえ、さらに独自の調査を行い、これまでの三冊を飛躍、発展させて一つの決定版として本を完成させました。

アメリカのCIA要員が出入りしている建物の紹介までこんな風にやっちゃっています。
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麻布米軍ヘリ基地と書いてあるのが、「赤坂プレスセンター」で、ここに米軍機関紙の「星条旗新聞」のビルもある。通りを挟んだところに、小泉進次郎のご養育かかりのジェラルド・カーティス(コロンビア大学教授)も在籍していた「政策研究大学院大学」がある。カーティスはCIAの情報提供者だった。

この本から、日本マスコミの日米関係報道がいかに歪曲され、重要な事が隠蔽されているのか分かるはずです。

ネット右翼本ばかりが書店に並ぶご時世ですが、本物の右翼ならば日米安保問題に切り込まなくてはならないはずですし、リベラル派も「国家の自己決定権」についてもう一度しっかり考えるべきが来たでしょう。確かに日本国憲法はGHQの起草による押し付け憲法ですが、そのアメリカにとって憲法が今やじゃまになってきた。

このアメリカが変えさせたがっている「憲法」という最大の日本の安全保障上の「武器」を活用するべきなのは保守、革新とわずの共通認識にするべきです。しかし憲法を変える前に、日米の二国間協定の不平等の問題がある。これを放置していたら結局改憲しても従属が更に強化されてしまうだろう、と私は考えます。

さて、著者の矢部氏は次のようにまえがきで書いています。

<いま、私たち日本人が直面している問題は、あまりにも巨大で、その背後にひそむ闇もかぎりなく深い>

日米関係というのは、予め決められた二国間協定でがんじがらめになっています。この部分を新聞が報道しない。日本が原発をやめられない大きな要因は、「外務省原子力ムラ」が管轄する「日米原子力協定」という取り決めがあるからです。日米安保に関することが裁判で判断されない「統治行為論」もまた日米の取り決めがあるが故です。これで日本は主権国家として大きなハンディを負わされています。

矢部氏によると、他に米軍基地を持っている欧州の国々ではこのような「統治行為論」は存在しないのだそうです。
一般に統治行為論というのはポリティカルクエスチョンと英訳されていましたが、ここに大きなからくりがあって、日本で言う統治行為論と「ポリティカル・クエスチョン」(政治問題)とは全く違うものだというのです。ここはびっくりしました。

統治行為論というのは、「国家統治の基本に関する高度な政治性”を有する国家の行為については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が可能であっても、これゆえに司法審査の対象から除外すべきとする理論」だとか大学の憲法学で教えられますが、これが憲法学者の解説の限界でしょう。

本当は、「日米安全保障条約は日本国憲法の上位法であるから、それにかかわる事件の裁判は許されていないのだ。なぜなら日本はアメリカの属国だからだ」ということにほかなりません。

(引用開始)

実はアメリカにもフランスにも、日本で使われているような意味での「統治行為論」は存在しません。まずフランスを見てみましょう。日本の「統治行為」という言葉のもとになったフランスの「アクト・ド・グヴェルヌマン(acte de gouvernement)」ですが、意外にも、「〔フランスの学界では〕統治行為論は、その反法治主義的な性格のゆえに、むしろ多数の学説により支持されていない」

「〔フランスの〕判例の中には統治行為の概念規定はおろか、その理論的根拠も示されていないうえに、一般に統治行為の根拠条文とされているものが一度も引用されていない」と、この問題の第一人者である慶応大学名誉教授の小林節氏は書いています。(『政治問題の法理』日本評論社)

そして統治行為論の安易な容認は、「司法による人権保障の可能性を閉ざす障害とも、また行政権力の絶対化をまねく要因ともなりかね」ず、「司法審査権の全面否定にもつながりかねない」と指摘しています。まさに正論と言えるでしょう。逆に言えば、砂川裁判以降、約半世紀にわたって日本の最高裁は、小林教授が懸念したとおりのことをやりつづけているのです。

一方、アメリカには「統治行為論」という言葉は存在せず、「政治問題(ポリティカル・クエスチョン)」という概念があります。そのもっとも初期の例は、一九世紀にロード・アイランド州で内乱が起き、正統な政府であることを主張するふたつの州政府が並立した、そのとき連邦国家であるアメリカ合衆国の最高裁は、「どちらが州の正統政府かという問題については、独自に決定できない」という判断を下したというものです。そのような、判決によっては無政府状態を引き起こしかねない問題は、裁判所ではなく大統領の判断にゆだねるのが適当としたわけです。

フランスと違うのは、アメリカでは判例のなかでこの「政治問題」という概念が、かなり幅広く認められているということです。なかでも外交や戦争といった分野では、それを「政治問題」として司法が判断を避けるというケースがたしかにある。

しかしそれはあくまでも、「対外関係においては戦線(つまり自国の窓口)を統一することが賢明」(C・G・ポウスト)であるという立場から、絶対的な国益の確保を前提として、一時的に権力を大統領ほかに統合するという考えなのであって、外国軍についての条約や協定を恒常的に自国の憲法より上位に置くという日本の「統治行為論」とは、まったくちがったものなのです。


(引用終わり)

このように日本の憲法学が砂川事件などの日米安保問題に際して引き合いに出す「統治行為論」のような考えを米国もフランスも持っていないし、「ポリティカル・クエスチョン」という概念もそれとは全く違う、ということを鮮やかに、小林節教授の本を引用して立証しています。

そして恐るべきは、基地問題だけではなく、日米の外交官僚の間では、原発にかかわる問題についても統治行為論を適用している、ということです。

(引用開始)

これまで原発に関する訴訟では、たった三件だけ住民側が勝訴しています。
まず日本で初めての住民側勝訴の判決、しかも現在にいたるまで、高等裁判所で唯一の住民側勝訴(設置許可無効)の判決を書いたのが、当時名古屋高裁金沢支部の判事だった川?和夫裁判長です。

その川?氏は、のちに朝日新聞記者の質問に答えて、自分はそういう考えをとらなかったが、「原発訴訟に統治行為論的な考え方を取り入れるべきだという人がいることは聞いたことがあります」とはっきりのべています。(『原発と裁判官』磯村健太郎+山口栄二著/朝日新聞出版


(引用終わり) 

原発においても「高度に政治的な判断」が行われている。たかが発電設備である原発でそのようなことが行われている、と。根本にあるのが外務省原子力ムラの護持する「日米原子力協定」という「日米地位協定」の原子力版であることはもう明らかです。原子力協定の問題点については、私もいろいろ紹介してきました。この本でも詳しい条文解説もやってあります。基地も原発も冷戦時のアメリカの思惑で「日本に与えられたもの」という認識を保つ必要があります。

この本の内容は盛りだくさんです。国際政治を法的枠組みできっちりと捉えた内容で必読書ではないかと思います。

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ハヤカワ書房的 ニュージーランド 売却話

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これは創作話である。ただ真実の要素が入っている可能性もある。

暗い嵐の夜だ(当然)。ロンドンのゴールドマン・サックス風銀行の本社の広い紫檀の重役会議室テーブル前に集まった面々は、世界でも最も有力な銀行、石油会社、鉱業会社や化学、医薬品会社首脳だ。

それぞれのゲストの前におかれているのは、卵形のスワロフスキー・クリスタル瓶に入ったウォッカ、ロイヤルサルート、50年ものシーヴァス・リーガルのスコッチや、ハーディ・ル・プランタン・コニャックと、400ドルのコナ・ニガリのボトルと、クリスタルのコップだ。メモ用紙も、ペンも、録音装置も、携帯電話もない。

多国籍企業世界での長い付き合いで、お互い誰かは知っているが、名前をあかさぬよう依頼されたので、彼等をイニシャルで呼ぶことにする。GS、JPM、BOA、DB、ML、IMF、WB、ROT、WP、ANA、SHE、MOB、NEW、RIO、DOW、MON、ELI、MER、更に、ビルダーバーグや、日米欧委員会からの追加メンバーだ。

他にも、会話に参加するよう招かれはしないが、会話を聞いて、決定を実行する多くの人々がいる。彼等には、コーヒーと、コカコーラの瓶詰め飲料水がある。

JPM: 1980年代の労働党政府に、ニュージーランド資産を、我々に焼け残り品処分特価で売らせる大成功で、我々の多くが、20年以上、利益を享受できた。

ROS: 以来、いわゆる金持ちと貧乏人のギャップが大きく広がったが、我々の狙いと、願望にはぴったりだ。

GS: そう、中流と下流階級の生活水準が下がって、賃金が企業が持ち出せる利益と化するのを見るのは楽しいことだ。

ANZ: 残念ながら、彼等は、この会議に参加できなかったが、ニュージーランド事業懇談会が、我々の狙いが実現するよう大いに協力してくれたことに乾杯すべきだろう。大半が外国企業や、外国が支配する企業をメンバーにしてあるおかげで、連中に影響を与えるのは楽だが、我々の想像以上に、連中は役に立ってくれるな。

全員: 乾杯、乾杯。

MON: だが、まだやるべきことは多い。例えば、引き続く政権が、我々がニュージーランドの八百屋の棚を、750種以上の遺伝子替え作物で満たすことは認めているとは言え、連中はまだ、ニュージーランドでの我々の遺伝子組み替え作物栽培を認めないので、我々の除草剤と農薬の利益は、有り得る額の三分の一に過ぎない。

MER: 連中のおかしなニュージーランド医薬品管理庁がジェネリック薬品を何十億ドルも買いまくっている。何十億ドルもの金は、特許医薬品に使うべきだ。

ANA: 沖合には膨大な油田がある。2500メートル以上の深さにあるから、現在の技術では深すぎるが、我々の技術は間もなく追いつくだろう。メキシコ湾深海1500メートルまで掘削する計画だが、もしそれがうまく行けば、ニュージーランド沖で、2000メートル以上掘削することも可能だろう。

RIO: ニュージーランドには、石炭、金、海底の希土類等々、我々として手に入れたい、かなりの資源がある。だが我々が堀出したいもの大半は国立公園や保護地にあったり、くぐりぬけなきゃならない資源管理法の様に面倒な法的タガがはまったりしている。我々の利潤に影響する気候変動に対するいかなる行動も、我々は阻止しなければならない。

IMF: そうだな。ニュージーランドを再度、開国させて、連中の資産を、資産を適切に利用できる大手多国籍企業に譲渡させる頃合いだ。

GS: ああ、金融業界は資産の譲渡を促進する用意がある。レーガノミックスのおかげで、何十億ドルも儲けたな。我々に必要なのは、ニュージーランド政府を牛耳ることだ。

WP: 我々の成功体験から、ニュージーランド首相の影響力は大きいと思う。実際、もし我々が、ふさわしい人物を首相として選出させることができれば、彼が、資産を我々の用意ができている買い手に売る法律を成立させ、ここに今晩、出席している企業による、ほぼ全面支配の為に市場を開放することができる可能性も極めて高かろう。

ML: 実に興味深いな。うってつけの男がいる。

MER: 一体誰だ?

ML: たぶん、この段階では、彼の名は伏せておいた方がいいが、最近彼に、わが社のロンドンの貿易事務所を一カ所閉鎖し、減税の狙いで、アイルランドに移す様指示したんだ。彼は非常に効率的だった。何百人もの社員の首をきらなければいけなかったが、実に粛々と効率的にやった。社員達は彼のことを‘ 微笑む暗殺者’やら‘強欲野郎と呼んださ。だが本社の我々にとって、彼はまさに‘我々の玉だ’

GS: 誰のことをいっているのかわかるぜ。最近、ニュージーランドの電力資産を売るという契約をものにするのに、我々にとって一番良い方法について、奴と相談したんだ。

MER: どうやって、やるんだ?

WP: 我々は、ニュージーランドで、ほぼ150年の経験があるから、提案してやっても良いが。我々の資源を使って、確実な議席を持った保守党現職首相を辞任するよう説得するのも難しくはあるまい。意中の男をその議席につけ、我々やパートナーの影響力を行使して、彼を指導者の立場に押し上げ、それから彼を首相に選出させるんだ。

JPM: 彼が首相に選ばれた後は、外国の企業に無制限の選挙献金をする権利を与える法律を成立させるよう彼を説得できる。それで、我々が彼を必要とする限りは、彼を首相にさせておける。結局、資産を我々のものにしてしまえば、ニュージーランドが、それを取り返す方法はないんだ。

NEW: そう、彼が鉱床を、採鉱用に開放した後は…。

ANA: そして、深海の石油掘削に海の開放だ!

GS: 電力会社の様に、生産的で、収入を稼げる資産を売れるようにする為に、彼が、環太平洋戦略的経済連携協定にすぐ署名できるようにしておかないとな。

MON: そうだ。あれに署名さえさせれば、多かれ少なかれ、ニュージーランドの商業を全面支配できるようになり、資産が消滅するまで、利潤が楽しめるわけだ。

ELI: TPPには、売却や、我々がニュージーランドの企業や資産を購入するのに、国が何らかの邪魔を認めるようなら、我々がニュージーランド政府を訴えられるようにする条項を必ず入れておくようにしないとな。北米自由貿易協定の下で、対カナダ向けに準備している訴訟は、我々にとって極めて美味しいはずだし、カナダ人には二度と我々の邪魔をするなと教えてやれる。

DB: 毎年何十億ドルも借りるよう説得する必要もある。実際には不景気なのに、経済を良く見せられるから、喜んでそうすると思う。年間約90億ドルで、効き目があるだろう。

IMF: 助ける用意はできている。結局、世界中の多くの国々で、資産を、外国企業支配下に移動できる様にしてきたんだ。ニュージーランドが耐えられない程の債務水準になったら、我々の傀儡が、IMFに懇願することができる。そこで、我々は通常のIMF要求を押し付け 全ての資産を売り払い、年金、社会福祉、医療等々を引き下げられる。それで、我々のお仲間企業にとって、空白状態を埋める更なる機会が生まれるわけだ。

DOW: だから、我々の計画はこれだな? 皆、同意か?

全員: 同意。同意。同意。

記事原文

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デジタルで 15年以内に世界のビジネスの8割は なくなる!?

暮らし

少し前、アメックスの上級副社長が「80パーセントのビジネスは15年後には消えてなくなる」というショッキングなスピーチをした。

実際に、1950年代の世界経済に君臨していた上位五百社のうち、現在も操業している企業は、10パーセントにも満たない。時代に商品やサービスが、追いつけなかったり、利益をもたらす新商品が生み出せなかったりして、90パーセント近くの企業が、自然消滅してしまったのだ。

企業の消失は、ここ15年間前からさらに増えている。その原因となっているのは、世の中に急速に浸透するデジタルだ。

デジタルは、スピード、クオリティ、コストなどのマネージメント管理や効率化を可能し、莫大な利益をもたらしてくれるキラーツールだ。しかし導入を見間違えると、既存ビジネスをパッとつくり変えてしまう可能性が高いのも確かだ。

例えば、1768年に創刊され、110人のノーベル賞受賞者も執筆した「ブリタニカ百科事典」は、学術書の辞典として、世界中の研究機関、教育施設、家庭に置かれていた。しかし、インターネットの普及や、2001年に発表されたWikpediaなどの影響を受け、現在では規模が縮小され、microsoft版でオンライン版でのみ販売されているだけになった。

1880年世界で初めてカラーフィルムを発売した「コダック」も、デジタルカメラの登場などで、デジタルシフトへの経営を余儀なくされ、現在ではデジタルイメージング企業として再建中である。

80年前に創刊された「ニューズウィーク」も、インターネットの出現で、2012年に印刷版の発行は終了し、現在はデジタル版のみネット配信されているだけである。

日本の事例を紹介してみる。

国内最大の音楽・映像レンタルチェーンといえば1410店舗で展開している「TSUTAYA」である。DVDレンタル事業の主な収益はお客の延滞料金による比重が高いが、TSUTAYAでも同様である。しかし2005年、3600億円程度あったDVDの売上げが、2013年度、1630億円程度まで縮小したり、ゲオなどの競合店とのレンタル料金の値下げ激化、映像オンライン配信などの影響も受け、経営も悪化している。
ツタヤでも、収益が少ないがオンライン配信へのビジネス・シフト事業、独占映像レンタルソフトコンテンツ開発など行っているが、先が見えないが現状だ。

こう考えると、アメックスの上級副社長の発言は、俄然リアリティを帯びてくる。
人類史上最大の発明としては、火、文字、蒸気機関車などとともに、インターネットやコンピュータのデジタルも入ると思う。しかしデジタルは、人類に有益なインフラやシステムをもたらすとともに、既存のビジネスを一瞬で呑み込み、変貌させてしまうモンスターではないかと密かに感じている。

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日本の技術競争力の劣化に関して(東工大教授 今野浩)

暮らし

1960年以降の日本の快進撃を可能にしたのは、まぎれもなくスプートニクショック後に大拡充された日本の大学の理工系大学に参集したエンジニア集団である。数学我苦手でない学生の大半が理工系大学に進んだ。1940年生まれのジャーナリストの立花隆も“色弱でなければ工学部に進んでいただろう”と言っている。一言でいえば、理魂・文才のエンジニアが、理魂・理才の純正エンジニアと協力して、日本の快進撃を生み出したのである。しかし彼らは、その貢献に見合う待遇を受けることはできなかった。経営者たちは、一流エンジニアに配分すべき富を海外にばらまいたのである。

例えば、有力電機メーカーF社は、10億円の価値があるスーパー・コンピュータをアメリカに一億円で売り渡している。本来であれば、これを開発した技術者に支払われるべきお金が、アメリカに提供されたのである。日本のエンジニアたちの給料は、銀行マンや証券マンを大きく下回っていた。

ハードで劣勢に立たされたアメリカは、ダメもとで、日本にクレームをつけた。”日本人の働き過ぎが世界に不況を輸出している”と。これに対して日本政府は非を認め、働き過ぎのエンジニアたちに対して”あなた方の働き過ぎが世界に迷惑をかけています。これからは働き過ぎを禁止します”と宣言した。

梯子を外された一流エンジニアたちは憤慨した。そして”俺たちが働き過ぎだって!?アメリカでも一流エンジニアたちは我々と同じくらい働いている。我々は、仕事に生き甲斐を感じているのだ。アメリカが日本に負けたのは、優秀な人間が。弁護士や記入業界に流れたために、優秀なエンジニアが少なくなったためだ”と思った。
日本政府は製造業のエンジニアを叱るのでなく、経営者に対して”一流エンジニアを優遇し、そのコストに転嫁せよ”というべきだったのだ。そうすれば、日本の輸出競争力は弱まるから、米国の批判を受けることはなかったのである。(もっとも、国力が弱まっていたアメリカは、別のことで難癖をつけていたと思うが・・)

エンジニアは割に合わない仕事ではないのか。エンジニアに誰しもがこう思うのも自然だ。そしてこれが、我が国の現在の状況である、理工系離れ、技術者の海外流失、技術層の劣化で現実となっているのだ。

三菱総合研究所のあるコンサルタントは、現代を象徴する、52%、1.5年、39%という数字を教えてくれた。
52%は、2年以内でマーケットから消えてなくなる数字だそうだ。開発者や研究者が何年、あるいは何十年かけて生み出した商品の半分は2年以内に消えてしまうのだ。
1.5年は、新発売の商品がもたらしてくれる利益還元の期間。1年半を過ぎると、商品に付加価値をつけない限り、利益をもたらしてくれないとい。
そして39%という数字は、仕事に対する幸福度。6割の人は、今の仕事は生活の糧としてしか捉えていない。ただ、上記3つの数字は、2010年度のものなので、いまはもう少し低下しているかもしれない。

市場に導入する新製品は、数年かけて研究開発でを行い、画一的商品を製造してくれば市場が受け入れくれた。しかし、1年も経たずに市場自体がかわってしまう現代では、いままでのようなやりかたでは通用しない。
例えば5寸釘が求められている場合、いままでは仕様に応じて、1ミリの狂いも無い寸法の製品を納めれば問題なかった。しかし、いまは、途中で、幾重も折れ曲がる釘や、軽量な釘、空洞の釘などの付加価値をつけなければ、売れないようになっている。これは日本の技術者たちが求められている独創的な能力だと思う。

前述に技術者の劣化の背景を書いたが、深刻なのはこれだけでない。

80年代に入ると、詰め込み教育が批判を浴びるようになり、学力以外の能力を加味した(あるいは学力以外の能力だけで)合否判定を行うAO入試を導入したり、試験科目の削減の動きが顕著になった。この結果、大学一年生の基礎学力が大幅に低下したのだ。大学受験戦争が若者にプレッシャーを与え、独創性を阻害すると指摘する”識者”は多い。しかし、受験戦争を通り抜けてきた世代から見れば、あの程度の勉強で独創性が失われるのなら、その人にはもともと独走性などなかったのではかかろうか。

戦争による徴兵も、本当の貧乏も経験したこともない若者から受験競争を取り上げれば、残るものは空虚が詰まった脳味噌と、ひ弱な人間だけでなないのか。このような人物が社会に出て、世界と戦っていけるのだろうか、はなはだ疑問である。

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松本サリン事件とオウム事件における 冤罪と死刑の構造(安田好弘弁護士、河野義行氏対談)

暮らし

安田:9月11日、松本サリン事件の河野さんを招いて03年3回目のセミナーを開きました。この日は9.11から3年目とあって各地で集会が目白押しでした、しかし私たちの会場である早稲田奉仕園は超満員となり、いわゆるオウム事件への関心の深さを感じました。

一連のオウムが関連したと言われる事件に関して最も良く知っている安田さんと、河野さんの対談でした。事件の背景・隠されたものは何なのか。何にも解明できていない事件の中で裁判だけが進行し、一審ではほとんどの被告に死刑判決が出され、控訴審に移っています。以下は長い対談をまとめたのですべてを再現はできていません。文責はすべて編集部にあります。マスコミが事件を作っていった


河野 松本サリン事件は1994年6月27日深夜に起きた。突然犬が死に、家族全部が体がおかしくなり病院へ。救急車が次から次へ患者を運んでくる。

翌日私の自宅が強制捜索を受けた。シアン化化合物があったことが端緒になっている。強制捜索令状がその日のうちに出てしまう。7名の人が亡くなり数十名の人が入院し被害者は600名だが、令状は殺人となっている。事件だか事故だかもわかってはいない。それでも殺人罪という捜索令状を出した。警察の「大勢死んでいるから広い意味では殺人だ」との説明を裁判官がそのまま認めた。捜索が始まり、私が保管していた写真の現像の材料、陶芸の着色用材料などが押収された。
亡くなった方や負傷した方たちの瞳が縮んでいる、縮瞳という現象があり、シアンでは逆に瞳孔が開きこの現象はない。有機リン系の薬剤で縮瞳という現象が起こる。そういうものがないかと捜す。スミチオンという農薬があった。これはどこの園芸店でも売っている。他に有機リン系農薬粉剤もあった。警官に聞く。

「有機リン系の粉剤ってうちにあったんですか?」「あるっ!」「どんなもんですか?」「バルサン」。バルサンも有機リン系の農薬だ。警察は新聞にリークする、河野の家に有機リン系の農薬が2種類あった、亡くなったり負傷した人との症状と矛盾しない。そのように書く。犯人であるという像をつくっていった。

誤報もあった。薬品の調合を間違えたとか、関与をほのめかしているとか。周辺取材でウソを補強していく。薬品を調合するには調合容器と秤が必要。秤押収、調合容器押収と書いたが、秤はもっていっていないし、容器は漬物の樽。漬物の樽がいつの間にか調合容器と表現されていき、一見整合性のある記事となる。

疑惑を印象づける記事が事件から1カ月、3カ月、半年過ぎと区切りのいいところで、検証するかのように載る。「事件の鍵を握る人物」、朝日新聞は12月末ぐらいまでそういう書き方をした。

当初の「薬品を混ぜ間違えたらしい」が、警察がサリンと推定される物質が原因と発表することにより動きが変わっていった。「毒ガスが本当に作れるのか」。7月16日に退院するという話が出たころ、河野ではないのではないかという動きになっていた。退院しても厳しい取り調べは行いにくい。読売新聞が退院に焦点あわせ7月15日の夕刊と16日の朝刊に「薬剤使用ほのめかす」とのタイトルで書き、疑惑を元に戻した。これで少々荒っぽい取り調べをしたって世論の批判を受けない。

7月16日には後遺症がひどく退院できず、7月30日退院となった。こんどは産経新聞が「30人、40人殺せる薬をもっている」というタイトル。スナックで酒を飲んだ人がタクシーに乗って運転手に話をしたと、警察が意図的に流して書かせた。これを追ったのは地元の信濃毎日新聞しかなかった。信濃毎日は「核にも匹敵するような薬開発した」と書いた。ほかは裏付けが取れないので、どこも載せなかった。警察は産経新聞を事情聴取に使った。

取調室でぽんと私の前に出し「これはあんただよ」と言った。「スナックからタクシーに乗って、家まで行って入っていくのを見ている。裏付けもとれ、面通しもした」。「ありっこない。ここ2~3年スナックで酒を飲んだことはない。もし松本中の店に河野のボトルがあるなら出してもらいたい」と切り返した。警察の追及はこれで済んだ。ところが弁護士さんにも記事をもっていって、事態はここまで来ているんだ、もう手を引いたらどうだ、と。マスコミは捜査環境も整える。

私は早い時期に弁護士さんをお願いした。事件が6月27日、お願いしようと思ったのが29日。7月1日にはもう弁護士さんがついていた。ベッドで寝ていたら、長男が来て「テレビでお父さんのこと殺人者扱いしている」と言う。私はカッとなって、裁判を起こそうと思い、弁護士さんをお願いした。弁護士がついたと伝わったら、社会は一斉に反発した。7人も殺しておいて、弁護士をつけ自分の罪を逃げようとしている、なんてやつだ、と。反発は弁護士にも向かい、「そんな悪いやつを弁護する弁護士も弁護士だ」。事務所に電話やFAXでいやがらせ、抗議が集中した。知名度を狙った悪徳弁護士だ、金儲けの乞食弁護士だと、弁護士を誹謗中傷することが随分行われた。

弁護士の仕事は黒を白にすることではない。依頼者の法的利益をどう守っていくのかというところが原点だ。しかし世の中の人はそうは考えない。麻原さんの弁護士も随分パッシングを受けたし、和歌山のカレー事件の弁護士も批判された。こいつがやったらしいという動きになると、法的手続きやルールがすべて飛んでいってしまう。

当初警察は自分を守ってくれるありがたいところだと思っていた。マスコミは私の逮捕は時間の問題だといっていた。ところが1カ月たっても逮捕されない。病院は犯人をかくまっていると噂された。主治医は熱が下がっても3、4日たたないと退院はさせられないと言っていた。ところが噂が広がり「治療費もかさむだろうし、自宅でも治療できるから退院してもらいたい」となった。弁護士さんは1日でも長くおいてもらいたいと言ったが、認められなかった。7月30日、サリンの後遺症を持ったまま退院することになった。退院したときの体温は37度6分で、頭痛と下痢、口の中はばりばりに乾く、そんな状態だった。

「事情聴取は2時間が限度である」という主治医の診断書を持って、任意の事情聴取に行った。警察に強制力はない。診断書を示し「私の体調はこの通り。事情聴取の時間を配慮してもらいたい」と言った。それはそれで受け取って、これにサインをしてほしいといって書類を出してきた。ウソ発見器にかけたいから承諾してくれという書類だ。この時は、逆に自分の潔白が証明されるだろうという思いで承諾した。ウソを言うこともないし隠すこともないのだから。しかし警察は何も反応が出なくても、「あなたは白です」とは言わない。「機械は正直だ、あんたにとって不幸な結果が出た」。ポリグラフは受けない方がいいと、経験から思う。

ポリグラフと、誰々がこう言っていたからおまえだろうなどと追及され7時間半、立っているのさえつらい状態で1日目の事情聴取が終わった。次の日は自白の強要。任意の参考人聴取でいきなり自白の強要が行われた。警察には焦りがあった。マスコミが100人くらい集まっている、結果を出さなくてはいけない。警察はとても世論を気にし、マスコミを相当意識している、マスコミは世論を反映しているから。

当時、長男と話した。世の中には誤認逮捕があり間違った判決もある。お父さんは7人も殺した犯人ということになっている。最悪が重なればおそらく死刑だ。そうならないように努力するし、それは大事なことだが、もしそうなって、死刑の執行が来たとき「あなたたちは間違えた。しかし許してあげよう」、そう言って刑の執行を受ける。精神的に下になっては負ける。「仮にあなたたちが間違っても俺は許してやる、そういう精神状態でこれから対処しような」、そんなことを話した。嫌がらせをする人もいた。かわいそうな人だと許してあげる位置づけを保ってきて、何とかつぶされずに乗り切った。

◆被害者であることを確認するために

安田 河野さんは被疑者と被害者の2つの立場にいた。私はたまたま麻原さんの弁護人になり事実を調べて回った。松本サリン事件もその中の一つで、いろんな人に事情を聞いた。信州大学の先生がいて、この方は難しい事件が起こったときに理科系の専門家として警察に意見を述べる立場の人。7月29日の段階で警察から照会があり、河野さんのところから押収されたものを全部見せられ、直ちに検討した。

これらのものでサリンが作れるかと意見を聞かれ、絶対に作ることはできないと断言した。その段階で専門家として絶対にあり得ないと言ったにもかかわらず、河野さんへの追及が延々と続いた。絶対に作ることはできないと指摘していたことを聞いて、私たちも一連のオウムの事件とは何なのだろうと思い始めた。

弁護人というのは依頼者の利益を徹底して守る、国家を敵にしようと世界を敵にしようととことん守る。それは当然のこととして、この事件にはもう一つ責務があり、この事件の真相を暴露すべきだと思った。前兆がたくさんあったのに、どうして防ぐことができなかったのか、というところに必ず謎があると思った。それで、従来の弁護のやり方をおよそ変えて、とことん真相を追究する、隠している部分をあばいていく、ということをやり続けてきた。

河野さんにお聞きしたいのは、被害者としてどういうサポートがあったのか。そしてどういう問題が解決されなければならないか。


河野 被害者には変わりないのだが、初めは加害者という扱いを受けた。犯罪被害者等給付金制度がある。亡くなった方や高度障害をおった人に、国が見舞金という一時金を出す。私はこれを使うことにした。警察は私のことを被害者とも加害者とも言わなかった。給付金を私が受けられるとき、公式に私を被害者だと断定することになる。事件が起きた翌年の5月16日、麻原さんが逮捕されたときに申請し、半年かかって認定された。

犯罪被害者の補償は、基本的には「加害者に訴訟を起こし、被害相当を弁済をしてもらいなさい」というスタンス。しかし判決が出ても加害者に支払能力がない場合、受けた損害プラス訴訟費用で、なおへっこんでしまうのが現状だろう。
国には犯罪を防げなかった道義的な責任がある、だから国は被害者を救済しなければならないと、私は訴えたい。ところが、救済の基本法がないから「気の毒ですね」で終わっていた。こんど犯罪被害者の救済基本法が提案され(12月1日、犯罪被害者基本法が議員立法で成立)、どうするかという話はこれからだ。

安田 犯救法には、犯罪をどう考えるかという基本的な視点がない限り、支援関係は基本的なところでとどまってしまうという指摘がある。被害者になることも加害者になることも一定の範囲内で起こることであって、社会全体が背負う社会の責任であるという考え方。また、これは社会保障の問題だから、警察ではなく厚生労働省でというという点については?

河野 現状は被害者と一番接触しやすい警察が窓口で、公安委員会が受理し裁定する。やはり犯罪を防ぐということは国の責任だから、お見舞い金ではなく、厚生労働省あたりがきちんと保障するということだと思う。医療費がかかる人もいるだろうし、生活が成り立たない人もいるだろうから。
 サリンでいまだに後遺症が残っている。治療はどうするのか、まったく確立されていない。国は何もやっていない。民間ボランティアがお金を出して検診などをやっている。本来それは国がやらなければいけない。

◆冤罪を生む構造とは

安田 体験されて、裁判所あるいは弁護士、検察、そして警察などがどういうものであるのかを理解されたと思う。そこらあたりを。

河野 警察はまず証拠の保全とか初動捜査で押さえるべきものはきちっと押さえていく。証拠は、後の公判に耐えうるものを入手しなければならない。松本サリン事件が起こったとき私の家のものを押さえた。それは証拠保全したいということだと後でわかった。現場にある証拠で可能性を組み立て、私が疑われた。疑われるのはしょうがないことで、警察の捜査手法は、現場に近い人、亡くなった人に近い人から捜査を広げていくわけだから。私は現場の横に住んでいて第一通報者であるし、私を疑うことは、警察の手法からしたら当然のことだ。

問題はターニングポイントがいっぱいあった。私の家から押収された薬品ではサリンはできず、シアンでは縮瞳は起こらないなど、折り返すところがいくつもあった。ところが捜査指揮をとっていた刑事部長が意地を張った。捜査幹部を集めて「おまえらは河野の黒い部分を捜してくるのが仕事だ」とか「河野が白だと、そんなやつはこの本部からいらないから出ていけ」、こういうことを言った。警察はなかなか修正ができない、そこが一つの問題だ。

それから令状の問題だ。コンピュータの犯罪もあるし、薬品の犯罪もある。裁判官のサポート態勢がとれていないないのではないか。裁判官は法律の専門家ではある。いろんな専門のスタッフを揃え、裁判官をサポートできるような組織になればいい。現状は逮捕状を請求したらほとんどが出てしまうということだが、チェック機能が働いているか、とても疑問だ。

安田 あの時、逮捕令状を請求したら出たと思う。なぜ請求をしなかったのか。請求しても勾留の期間内に事件として起訴できるだけの自信がなかったのだろう。普通あのレベルでは、何かほかに口実がつけれないかと余罪の逮捕から始まって、だんだん本編に入っていく。例えば図書館から本を借りて返すのを忘れていて、本が自宅にあれば窃盗と、そういう令状が飛んでくる。私は弁護をしていて思うけれど、警察・検察・裁判所はチェックする機能がほとんどない。証拠も見直す機能がない。

自白調書も見直す力がない。だから冤罪はいくらでも起こりうる。警察・検察・裁判所がそれほど硬直化しているとは誰も思ってはいない。冤罪は冤罪として通るんだと。だから冤罪で逮捕された人は、実に無警戒で取り調べにも裁判にも臨み、ますます冤罪になりやすい。罪が重い事件であればあるほど冤罪がますます増えている。

ところで、河野さんの問題はいろんなことを含んでいるから、多くの接触があったと思う。そういう団体を見てどういう感じたか。


河野 冤罪支援団体あるいは人権擁護の団体はあるが、黒いといわれているときは手をさしのべてこないという印象を持っている。明らかになったときにてのひらを返す。人権擁護委員が私ではないということがわかってから捜査資料を出せと言った。自分たちの安全な足場を作っておいて、世間の風を見て、風に沿ってしかものを言わない。

安田 弁護士、弁護士会はどのように動いてきたのか。

河野 傍観していた。おかしいんじゃないのかというのは、はじめからあったと思う。そのときにおかしいと言わなかった。危ういことが行われている、そこでものを言ってほしい。

安田 マスコミについて何が根本的に問題だと考えているか。

河野 警察の一番の問題は本来は漏らしてはいけない捜査情報を漏らしたこと。これは刑事訴訟法、地方公務員法、警察法などに、職務で得た情報は漏らしてはいけない、とある。マスコミはそれを破らせることで評価される。自分たちは守秘義務があるんだ、と貫いていない。マスコミは断片情報をもらって、それをつなげて、危ないと思えば推測の記事書けばいいという安易さ。そこが問題だ。

安田 ごくたまにきらっと光る人もいるが、そういう人がアクセスしてきてガードしようというようなことはなかったか?

河野 とりあえず白紙に戻していった。科学的に検証しようと言ったのがテレビ朝日の「ニュースキャスター」という番組とTBSの「情報スペースJ」という番組。その人たちといまだにおつきあいがあって、犯罪被害者支援のNPO(編集部注:リカバリーサポートセンターというNPO法人。サリン事件の被害者の人たちに対する国からの救済制度が一切ない中で、発足した市民団体。年に1回無料の検診をし、トラウマのケアやサリン独特の被害のケアなどを市民の力でやっている)で活動している。異色といわれていたけれど、事件をきちっと報道しよう、そういうところがあった。

安田 事件からどのくらいたって、どのようなきっかけでそうなっていった?

河野 8月10日くらいから動き始め、端緒は周辺取材。いろんな話を聞く。警察の言っていることはどう考えてもおかしい。現場をとことん洗う、話を聞いていく、やっぱりおかしいと感じて、では科学的にみたときどうなるか、ということだったと思う。

安田 その人たちの力によって社会全体、あるいはマスコミの動きは変わったか?

河野 実際にはこうなっている、とテレビで放映されたので、少し中立に冷静にという働きは果たしてきた。

安田 裁判官も検察官も弁護士も含めて責任をとらない構造が蔓延しているけれど、河野さんの嫌疑が晴れる過程で、責任をとっていくということが、マスコミや社会の中で、あるいは団体の中にあったか?

◆マスコミが責任をとれない理由

河野 責任をとるとは、まず謝罪。疑惑の印象を与えてごめんなさいという謝罪はしている。視聴者に対する責任はとっていない。マスコミは誤報を誤報のまま残している。このように間違ったので訂正するというのが責任だが、ひっくるめてごめんで全部終わっている。どこがどう間違ったのか訂正していない。そういう意味では視聴者に対して責任を果たしていないと思っている。

安田 誤った報道に対し、訂正するためにはその10倍くらいの報道が必要だと思う。それを考えると一切何もなされてはいない。なぜ誤ったのかということについて、検証がまったくない?

河野 マスコミは検証はいっぱいやっている。そしてそれは過去にまちがいを起こした原因とまったく一緒。自分たちはなぜまちがうのかというところまではマスコミはわかっている。検証はやる、検証やって終わり。十分に反映されていかない。

安田 なぜ反映されていかない、その原因は?

河野 マスコミは大きな組織だけれども、記者というテナントがいくつも集まっていて、記者同士が情報という商品を競争して売っているという構造だと思う。例えば朝日新聞の記者同士が競い合って、そして自分こそが光らなきゃならないわけで、過去の失敗とか教訓が後輩に伝わっていかない構造となっている。自分のノウハウが伝わっていかないという構造。

安田 マスコミは公の利益のためにやっているように見えるが、完全なビジネスだということを私たちは忘れてしまう。私は忘れそうになるとマスコミの建物を見る。立派なものがマスコミの建物で、とりわけテレビ会社の建物は、摩天楼のようにでかい。一企業がなす、あるいは一企業の営業活動によってできる規模をはるかに超えている。マスコミはいったい何かというのがよくわかる。見誤ってしまうと大変なことになってしまう。

見誤るとはマスコミに煽動されること。それが大きなマスコミ被害ではないのかなと思う。煽動されるとは相対立する必要がまったくなかったのにもかかわらず、対立する人間に区分けされ、あるいは差別する側に巻き込まれてしまうということで、そこに大変な怖さがあるような気がする。いわゆる冤罪が晴れたあと、人の態度はどういうふうに変わったのですか。


河野 マスコミは、極悪人にも描くし、あるいは美化し英雄的なものにも仕立て上げる。私は事件前と事件後の生き方も考え方も変わってはいない。その私が「事件」により、悪いという一つの路線、編集方針が出たときにはとてつもない悪いやつになってしまう。ところが1年たって、私が事件に関与していないとはっきりしたときにはまったく逆転し、とてもいい人になっていく。マスコミの人に対する評価の仕方はどっちか偏ってしまう。

◆オウム関連事件に隠されているもの

安田 麻原さんの裁判の一審判決があり、オウムの多くの人たちは控訴審になりつつある。たくさんの人が死刑になっている。1年間で16人くらいの人に対して死刑判決が出るという異常なことが起こっている。オウムの一連の事件の裁判の動き方、裁判で行われたことについてどのような印象を?

河野 裁判官が結論を出す前に、世の中やとりわけマスコミが結論を出しているように思う。判決の前に判決が出てしまっているという感じで、とてもおかしなことだと思う。それから弁護士がシビアに質問して、説明しろと言っているのに、裁判を遅らせているという批判も出た。丁寧に裁判を行うことすら世間が許さない。麻原さんの一審判決は8年くらいかかって、とてつもなく長いという言い方をしている。その起訴項目、被害者の数などを勘案したとき、8年は随分早いと思っている。

マスコミは「長い」と煽動している。13項目の起訴、そして多数の被害者の被害状況、そういうものを一つ一つ立証していかねばならないのに、他の人がやって8年でできるか、弁護団も検察も一生懸命やって8年で詰めたという印象を持っている。マスコミが「長くはないか」というコメントで煽動し、そういう方向性をマスコミがつくっていく。

安田 私の感じでは、この一連のオウムの事件ほど杜撰な証拠からできあがっている事件はなかった。依頼者だった麻原さんのケースだと基本は共謀。どうして共謀が成立したのか、出て来るのは常に教団の話。教祖、マインドコントロールという安易な言葉ですべて片づけてしまう。それで共謀の成立。人間の作業だからそれぞれの揺れる思いがあって、それぞれの目的がある。目的さえも教祖一人の話にしてしまう。

安易な事件のくくり方だから、客観的事実からしか積み重ねていけないというのが、私どもの感覚にあった。一番抵抗したのは裁判所だった。裁判官に最初に会ったとき、これは全世界に注目されている事件だと言う。それを聞いてびっくりしてしまった。裁判所は白紙で臨むはずなのに、もう事件の大きさを測っている。これだけの大量の報道だから、マスコミを避けていたところで情報は入ってくるだろうと思う。

世界に注目されているという認識を持つのならば、しっかりやろうというのなら話は分かるけれど、注目されているから5年以内で片づけたいと言う。注目されているから早く終わらせたいということはいったい何なのか。世界ではなく、実はマスコミが「早く吊してしまえ」と言っていることに応えようとしているということが見え、そこから毎回会うごとにケンカをするという感じになっている。私からすると、よくぞ8年で判決が書けたなという気がしてならない。

あの事件は20年、30年かかるだろうと思っていたし、少なくとも10年はたたないと真相などしゃべる人は出てこないだろうと。社会が沈静化しないと事実を話す人はいない。真相が、ぽつぽつ出てくるまで待つ。じっとして待ってるわけではなく、こちらはこちらで究明していく。ただそれを世間に説明する必要はない。弁護士はマスコミにも説明しない。まあ説明している部分もあったけれど……。だからここにフラストレーションがたまったんだろうという感じもする。

しかし基本的に弁護士はいったい何をする、どういう職業の人間なのかということについての理解が得られなかった。逆に言えば、これまで弁護士がまともな仕事をしてこなかったから理解が得られなかったのかなという気がしてならない。今回の事件は、戦後日本がつくってきた民主主義の脆弱さ、単なる紙細工にしか過ぎなかったということを思わされた。

9.11のあと、世の中ががらっと変わったと思うけれど、日本では3月20日の地下鉄サリンが起こったあと一気に変わった。


河野 サリン事件を契機に危機管理を意識し始めたと思う。それまではテロというのは頭の中になかったんじゃないか。サリンができる物質を規制していくとか、そういう危機管理が、あれを機に進んだと思う。さっきの裁判が何年もかかるという話で言えば、訴因が変更された。安田さんは訴因の変更をどういうふうに思うか? 私は問題ありという言い方をしているのだが。

安田 訴因の変更は弁護人にとってはダーティとしか映らない。都合が悪くなったから変える。都合の悪くなるような起訴しかしていないのか、そういう裁判しかしていないのか、いかにも不真面目。自分たちが言ってやってきたことのミスをつくろうというのか。

検察があげてきた訴因を徹底してたたき始めると、検察は危ないかなと思い始める。しかし、実は検察だけが訴因変更をやるのではなく、訴因の変更は裁判所と検察が合議の上で決める。裁判所が訴因変更した方がいいんじゃないかとサインを送る。このままだと裁判が進まない、膠着状態になる、もしかして無罪が出るかもしれないので、訴因を変更して手堅いところに収めろということ。あの事件では、時間を短くするという話もあった。

しかしあのままでいけば、かなりの部分の地下鉄サリン事件の被害者の中で、証拠があまりにも杜撰だから、有罪が認定できない。はっきり言えば、彼らは整理し、有罪が出るのだけに絞った。検察は初めからそれはわかっていた。彼らのやり方は、サリンの被害を受けたかどうかというのはいわばアンケート調査で、最初はとにかく何千人という人の被害だということを持ち出すことにより、事件の大きさを広げた。それで私どもが抵抗すると、これはまずいと、裁判を早く終わらせるんだという大義名分に隠れて、その危うい証拠を全部引っ込めてしまった、というのがあの訴因変更の真相。


河野 私も検察官に訴因の変更をどうしてやるのかと言ったら、裁判の判決を出すまでを短縮するという話だった。「だったら殺人未遂はやらないで、殺人一本でやったらどうですか」と言ったことがある。それでは世間が納得しないと言っていた。事件は事実をきちっとそのまま残すというのが大切なのだが、被害者がいつの間にか大幅に減ってしまって、事件の歴史を変えてしまうことはよくない。裁判が長引いても、被害者しか困らない。弁護士は弁護士報酬があるので困らないだろうし、検察官・裁判官は仕事として続くから困らない。被害者対策がきちっとできていないから、被害者だけが待てない。だからそういう対策をとって、待てるような態勢をつくって、裁判は事実だけをやっていくことが大事だと言った。

安田 被害者支援の貧困さが上手にすり替えられて、裁判の迅速化が求められていることになってしまった。事実を解明していく話ではなくて、つるし上げというか、リンチの場に変わっていく傾向が強くなっている気がする。

検察官に最初の段階で「このレベルの証拠では恥をかくよ」と言った。確かに人数は多いんだけれど、一つ一つとって、一つ一題で、一人の被害者について一つの殺人未遂の三点セット、ペラ3枚で、それが証拠だというわけだから、もう、こんな恥ずかしい話はない。普通だったら当然その被害者に面談して、いつあなたはどうして、どうなって、そしてどんな症状かということを聞いて、調書になる。そうしてあなたは当時どこにいたかと現場でもう一度確認することが当たり前。ところがアンケートで、信じがたい話だった。

ともかく一審判決が出た。あの一連の関係で無罪になった人はいない。地下鉄サリンの実行行為をやった人の一人だけ無期の判決が出て確定した。しかし実行行為に参加したけれども、結局その人の行為では誰も死ななかったという人も死刑になった。それについてはどういう印象を?


河野 検察に協力した人は、検察が情状酌量みたいに途中で求刑を下げた。まったくおかしな話で、やったことに対して求刑はきちっと決める。情状酌量を求めるのは弁護士がやることなんだけれど、検察が弁護士の仕事をやっているような違和感を感じた。

安田 死刑か無期、または刑期何年と、裁判所が決めるように見えるけれど、実は検察が決めているんだということが如実に現れている。検察が死刑を求刑し、かなり強く立証し、声高に主張すればやはり死刑になる。しかし検察が無期しか求刑しなければ無期判決しか出てこない、ごくごく例外的なケースを除いて。判決は裁判所が決めるものだと思っているが、実は検察が決めるということを、今回は如実に示した。 検察が決めるということは、明らかに行政機関である検察が、いろんな政策的な考慮を働かし、しかも治安維持という大きな名目のもとに動いていて、刑が実は政策的に決められていくことになっている。

あの場合、司法は自首したからいいんだと言う。捜査に協力したというのはあまり表に出さずに、法的な衣を設けた。あの人は初めから疑われた人で、駅前にある自転車に乗って占有離脱物横領で逮捕されたが、その時の報道は、これで地下鉄サリン事件は解明に向かうと書いた。全紙トップ記事で、全部同じだった。

つまり警察発表で、スクープであれば1社しか書かない。にもかかわらず、検察のレベルになってくると自首をしたと。自転車を盗んで捕まっている最中に「実は私はサリン事件をやりました」と自首したから、自首が認められるんだという論理をつくった。それは求刑だけでなく、求刑の前提となる事実でさえ適当にトリミングされるということを示している。とすると、仮に死刑を是としたところで、死刑が公平、公正に適用されているかについても、大変疑わしいということになる。首謀者とされる麻原さんに対する死刑判決をお聞きになってどういう印象を持たれたか、あるいは世間には、被害者の悔しい思いとかやりきれない思いを死刑そのものが和ませてくれるというような話もあるのだが、それについては。


河野 これは、まったく私的な部分だけれど、仮に彼が起訴された内容の通りであったとして、死刑が麻原さんに対して極刑かなと考えたときに、私は違うんじゃないかと思う。何とも思っていないかもしれない。自ら最終解脱者といって、来世もあると信じているのであれば、この世の終わりはあの世の始まりなんだという捉え方もあるのではないか。

だから終身刑の方がきついという言い方をしている。判決をどう受け止めるかは、本人しかわからない部分があるわけで、弁護士さんにもわからないだろう。控訴したのは事実が違うか量刑が不服かしかないわけで、だからどこが不服なのか、何が違うのか控訴審できっちり言ってほしいという気持ちはある。

◆死刑を意識したこと・家族の絆は

安田 控訴審を担当する人たちに期待したいけれど、漏れ伝わるところによると、控訴審も一審と同じように早く物事を終わらせてしまって、あの事件を終わりにしてしまいたいと裁判所は露骨に言っているようだ。
 今でも奥さんは病床に伏していらっしゃって大変な状態で、そういう中でお父さんが完全に疑われて、監視の中におかれ、ご長男も共犯という形で疑われていく。しかも、1週間、2週間ではなく、1年近く続く。そういう中で家族の絆はどういう形で維持あるいはつくっていかれたのか?


河野 当時私の子どもは中3・高1・高2で、とても多感な時期であるし、場合によってはいじめの対象になるだろうと思った。子どもたちを集めて、ありのままを話した。「お父さんは場合によったら近々逮捕される可能性が強い。君たちは一人ひとり自分で生きていかなきゃしょうがない。お父さんに会うこともなかなか難しいと思う。だから、全部任せる、家にあるお金も、あるいは家・土地を売るなら売れ」というところまで話した。

そのことによって子どもが大人の自覚を持ったということだと思う。子どもが大人に変わるのは一瞬で、子どもは子どもでいられなくなると思った瞬間。家の財産を場合によっては自分の意志で全部売らなきゃならない、こういう事態だから自分たちでまずやっていかなければならないという大前提がある。正直に話したことが子どもにとっては良かったと思う。
お父さんには死刑もあり得る、だからどうやって前へ出ようかという一つの手法を子どもたちといつも話し合って、それで方向性を決めた。それから卑屈になるなということ、意地悪されたら許してやる、意地悪する人たちよりは少し高いところに心を置いておこうと常に話してきた。そういうことで保ったんだろうと思う。

安田 ここに集まっている方々は、死刑をなくしていこうと思っている方がほとんどと思うが、一言、河野さんからお話しいただければ。

河野 私はずっと死刑に反対の立場をとってきた。人が人を殺すことがいいことであるわけではない。それから裁判にはミススジャッジがある、ミスジャッジで何もしていない人を殺してしまったときに、元へ戻しようがない。それから、死刑が犯罪の抑止になる、極刑があるから犯罪の抑止になるいう言い方をしてるが、私はそんなことまったくないと思う。犯罪をするときに自分の量刑を考える人はいないと思う。ここまでやったら無期だから、殺すのは止めようとか。

犯罪というのは突発的に起こって、感情的に動いて、気がついたら殺してしまっていた、そういうものであって、常に量刑を考慮しながら犯罪をおかすなんてあり得ない。そういう意味で死刑が犯罪の抑止になるということは違うと思う。死刑制度がいまある中で、犯罪が抑止されているか? いま、刑法犯は年間285万件で、少しも抑止になっていない。犯罪の抑止というのは私はまがい物だと思う。

【この後、カルト集団に入った息子を取り戻そうと、1989年に坂本堤さんと一緒に被害者の会を発足させ、現在も活動を続けているNさんに発言していただいた。新聞の催し物欄を見て初めて集会に参加されたとのこと。「教団は存続しているので、救出しなければならない家族はまだ多い。

しかし、いつか家族の会を幕引きするためには、実行犯とされている人たちの死刑をなんとか食い止めないと不完全燃焼だ。サリン事件の被害者の方との交流もあり、自分たちも出発時点では被害者だったが、その間でどのようにしたらいいのか、もがいてきた。私たちが本当に知りたいという部分は何一つ明らかになっていない。いいかげんな報道で、全然関係ない人が犯人だと報道されたり、結果的にオウム真理教の犯罪の中で、真実がまったく明らかにされていないということが私もよくわかった」と話された。Nさんの夫はVXガスを浴びせられ重傷を負った被害者だが、事件当時、警察やマスコミからは自殺未遂と疑われたという。】

安田 初めの時期に、息子さんを帰せと立ち上がられた。お母さんお父さんのあの力がなかったら、息子さんはそのまま、今裁かれている人の側に行ったかもしれない。複雑な話ではなく、事件とはそもそもそういうものだろう。現在息子さんはオウムから出てきた人たちのケアを一生懸命している。

この事件全体は、私たちの言葉で言えば、おかしいことがまかり通る何でもありな事件だ。何でもありの一つが、河野さんに失礼だが、河野さんのあの事件だったし、長官狙撃事件であり、坂本堤さんの事件で、結局最後まで犯人がわからないというような形で物事が済まされてきた。それが事件を覆う全体を支配しているという気がしてならない。そして死刑というもので全部を片づけてしまおうとしている。これは私の一方的な話だが。


河野 私は裁判で事件の真相が全部分かるなんてとんでもない話だと思っている。裁判は起訴事実に対し争うことだから、起訴事実から離れたものは出てこない。本当に真相が分かるのは、起訴された人が刑が確定し、刑が終わって、何の社会的訴追も起きない、そういう状況の時に初めて実はこうだったんだ、というものが出てくると思う。自分の発言によって刑がより重くなる段階でしゃべれというのは無理だと思う。

松本サリン事件とオウム関連事件(フォーラム連続シンポジウム)より

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【TTP】モンサントGMO種子特許訴訟 最高裁判決は 農家が一方的に敗訴

暮らし

アメリカ最高裁は、遺伝子組み換え種子特許と、畑が故意ではなく、モンサント製品によって汚染された農家を訴える同社の資格に関する巨大バイオテク会社モンサントの主張を支持した。

農芸化学企業の遺伝子組み換え種子の特許に対する強引な主張に異議を申し立てることを狙った、 2011年の「有機種子栽培者・事業者団体」と他の80人以上の原告による対モンサント訴訟を却下した、月曜の連邦控訴裁判所判決に、最高裁判所は手を触れなかった。訴訟は、そのような種子に畑が汚染されたあらゆる人々をモンサントが訴えるのを抑制することも狙っていた。

多数のアメリカやカナダの家族経営農家や、種子会社や、農業団体が構成する原告団体は、モンサント特許に対する予防的な保護を得ようとしていた。バイオ技術のリヴァイアサンは、同社の遺伝子組み換え種子を許可なく栽培したかどで、農家に対し、140件以上の裁判を起こしており、更に約700件を、訴訟せずに和解している。

原告の中にはモンサント社の顧客はおらず、同社と使用許可契約を結んでいる人もいない。団体は、モンサント社の遺伝子組み換え生物(GMO)を望んではおらず、同社の製品と故意ではない接触をした場合の法的保護を望んでいると主張した。

控訴裁判所の判決は、トウモロコシや、大豆、綿花、アブラナ(キャノーラ)等を含む作物が、同社の遺伝子組み換え製品の遺伝形質を含んでいる農家を訴えないという、モンサントがしたことになっている約束に基づいて出された。

2013年6月の判決で、ワシントンDCの米国連邦巡回控訴裁判所は、農家達が主張した通り、モンサント製品による汚染が起きるのは避けられないと述べた。ところが、控訴審陪審団は、モンサントが'作物が、モンサントのバイオ技術遺伝子の形質を、(例えば、遺伝子組み換え種子や花粉等が栽培者の土地に吹き飛ばされた為等)故意にではなく含んでいる可能性のある栽培者に対しては訴訟を'起こさない"という拘束力のある保証をしたからと言って、同社の遺伝形質が、原告の土地に入り込むようなことがあった場合、モンサントが原告を訴えるのを禁じる資格が原告にあるわけではない"とも述べた。

陪審団は、モンサント社特許種子の“遺伝形質”という言及は、影響が1パーセント以下の農園を意味している。

原告はモンサント社に、告訴しないと誓約するよう要求したが、同社は"原告団体の現在あるいは将来メンバーの誰も訴えないという包括的な約束は、事実上、誰でも故意の侵害ができるようにしてしまう"と述べて、要求をはねつけた。

モンサントのGMO種子は、広く売られている同社の除草剤ラウンドアップに耐えるように作られている。最近、疫病に対する遺伝子組み換え種子の抵抗力に関する懸念が出始めており、農家によっては、従来の農薬の使用量を増やすようになっている。

ロイターによると、"モンサント社は、もしわが社の特許種子あるいは遺伝形質が、故意でない手段の結果として、農家の畑で見つかった場合、決して訴訟しないとは、決して約束したことはありません" と、モンサント社の首席訴訟弁護士カイル・マクレインは語っている。

"下級裁判所は、両当事者の間に論争はないことに同意していました"マクレインは付け加えている。"そして、主張を再検討しないという最高裁の決断が、本件の結審をもたらしたのです。"

「有機種子栽培者・事業者団体」の理事長ジム・ゲリツンは、最高裁が、主張を聞くことを拒否して、過去の判決を再確認したことへの失望を表した。

"最高裁は家族経営農家がおかれている大変な窮状を把握し損ねています"とメイン州の有機種子農家のゲリツンは言う。"控訴裁判所は我々の論拠には意義があることは認めました。しかし...裁判所が命じた予防措置は、我々の農場や家族を守るには不十分です。"

月曜のニュースと控訴裁判所による不利な判決に加え、その多くが非GMO農家で、北米の認定有機農家の25パーセント以上を占める原告は連邦地方裁判所の裁判でも負けた。

“またもや、アメリカ農家は正当に扱われず、アメリカの田舎では、モンサント社の脅迫による支配継続が認められたのです”と発言する中、“もしモンサント社が金銭上の利益の為に、種子の特許権を取得することが可能なのであれば、農家を訴えることを認められるのでなく、農家の畑を汚染したことに対して賠償を強いられるべきです”と、フード・デモクラシー・ナウ!創設者で事務局長のデイブ・マーフィーは語っている

“モンサントは事実上、世界の種子遺産を盗んで、自らの特許種子技術の欠陥が原因なのに農家を虐待して、何の罰も受けずに済んでいるのです”とマーフィーは述べている。“これは歴史的規模の非道な行いで、到底ありえないことです。”

裁判は「有機種子栽培者・事業者団体他 対 モンサント社他」最高裁裁判番号13-303というものだ。

記事原文(英語)

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エイズウィルスの真実と嘘ーエイズウィルスは生物兵器として人工的に作られた

暮らし

●エイズウィルスの嘘


●エイズの真実


エイズウィルスの遺伝子配列を見ると、超効率的に暗号が配置され、短いながらも多重的に機能を持たせており、
「あたかも人工的につくられた」かのような配列になっているという。

1974年、HIVはアメリカ国防総省フォートデリックの陸軍生物化学戦研究センターにて、CIAプログラム監督下にてロバート・ギャロ博士らにより作成された。ヒトとヒツジの病原ウィルス2つを組み合わせる遺伝子操作で誕生。
もちろん「生物兵器」として。確たる証拠はもちろん流出していないが、状況証拠は出揃っている。

当初、刑務所の受刑者対象に生体実験を行った。(1978年にニューヨークで行われたゲイ対象のB型肝炎ワクチン無料配布キャンペーンでばら撒かれた、という説もあるようだ。その両方とも行われた可能性もある。)

この中には同性愛者が多数含まれ、1979年にニューヨークにて初めてのエイズ患者が発見された。この時期に米国免疫センターに報告された患者は、全て発祥の発生源をニューヨークに遡ることができた。

その後世界各地に飛び火することになるが、感染経路の多くは米国にまで辿ることが可能だった。

ドイツの研究チームは「感染源はニューヨークにある」と表明。イタリア政府の保険当局はエイズの出現率について調査を行い、パルデノン地方では8倍も高い出現率があることを確認。その地域には米軍の空軍基地があった。

アフリカでエイズ患者が発見されたのは1983年。これらはアフリカ人口の抑制の為、WHOを使ってアフリカの最貧国にばら撒かれたもの。天然痘ワクチン内に混入、という手段が使われた。1977年にWHOが天然痘予防接種の標的にした場所・・・中央アフリカ・ウガンダ・ハイチ・ブラジル。それらの地域全てでエイズが大流行した。

しかし、エイズが生物兵器として作られたもの、という事実を隠蔽する為、「元々エイズは、アフリカミドリザルから人に感染し、それが世界中に拡がった。従ってエイズ発祥の地は中央アフリカ」という説が米国防総省の意図のもと世界中に流布された。

この説を提唱したのはハーバード大のエセックス教授で、「104頭のアフリカミドリザルからエイズ特有の症例を保持していた」と発表。
しかし、この104頭のサルはアフリカの森林で捕獲されたものではなく、米国の霊長類センターから提供されたものであることが明らかになった。彼もデイヴィッド・ロックフェラーの系統に列ねる一人だという。

1985年あたりから大々的にマスコミにおいてエイズの危険性が報じられるようになる。同時にアフリカミドリザル説が「検証された事実」かのように報道・流布される。

今も多くの人はそれを信じているが、現在では正式にアフリカミドリザル転移説は否定されている。

日本人研究グループ(小室・渡辺)が1984年と1985年に「サルのエイズが人間に感染するなんてありえない」との研究報告を行い、WHOも1985年の疫学レポートにおいて「類似性はそれほど見られない」と発表。
エセックス教授の研究チームは翌年12月に間違いを認める。

少し遡るが、1983年にフランスのパスツール研究所のモンタニエ博士がエイズを発症した患者からウィルスを分離・発見に成功。翌年1984年にはフォートデリック陸軍生物化学戦研究センター(現国立癌研究所)のロバート・ギャロ博士がほぼ同等のウィルスを発見と発表。

両者は統一され、HIVと呼ばれるようになる。またこの年、両者はそれぞれHIV抗体検査を発明。ギャロ博士はフランス人であり、元々パスツール研究所の研究員だった。そして、HTLV-1、HTLV-2という、ヒトとヒツジの発ガンウィルスを発見、保持していた。

彼は、HTLV-3(エイズウィルス)は、これら1と2が自然な生物変異を経て、突然変異として進化したのもの、と非公式の場で主張。そのあまりにも荒唐無稽な説に、世界中の細菌学者が驚く。

それに対しモンタニエ博士は「2つのウィルスのゲノム構造の違いがあまりにも大きいため、自然現象としての進化はありえない」と述べるが、ことことはその後詳細なHIVのゲノム地図が作成されたことによって、実証される。

このとき、専門家達のあいだでは、HIV(HTLV-3)は、ギャロによる人為的な遺伝子組み換えによって製造された人造の新型ウィルスであることが強く憶測された。

1984年には、米国科学振興協会の機関紙において、「エイズウィルスは人為的な医原病であるらしいことが強く推定される」という内容の論文が掲載。

後にギャロは、英誌ネイチャー上にて自分が発見したエイズウィルスはパスツール研究所から送られてきたサンプルを盗んだものだ、と告白。大手新聞社による調査キャンペーンにおいて遺伝子調査で検証され、それが確認される。

彼は、製造者である自分が、フランス人に研究において遅れをとったことが焦りとなり、その失態を認めたくないばかりにそのような行為をしたのか。または、HIVウィルス製造者としての追求を逃れる為のバリアとしての行為か。様々に推測される。

2008年、モンタニエ博士ノーベル賞受賞。ちなみに彼ははエイズ撲滅キャンペーンに精力的に活動している。

ギャロ博士はその後栄転し、現在メリーランド大学の医学部の責任者であると同時にプロフェクタス・バイオサイエンス社の共同オーナーになっている。この会社はエイズを含むウィルス感染症の為の技術開発をしている。

参考文献

「悪魔の遺伝子操作~エイズは誰が何の目的で作ったか~」ドイツ・フンボルト大 ゼーガル教授著(この夫婦は既に亡くなっているが暗殺説が根強い)

「仕組まれた恐怖~エイズは生物兵器だった!?」
医師・医療評論家 永井明著(2004年に急死)

両方の著者ともに急死しているのが怖いですね。
「仕組まれた恐怖」は現在入手困難とのこと。

ちなみに、タミフルは生産されたうちの実に8割が日本国内で使用されているそうです。米国は正式にインフルエンザ治療にタミフルは不要と発表してます。
SARSは黄色人種向けの実験だったようですが、今回のタミフル騒動は日本人に向けた人体実験だ、と指摘する人もいるようです。タミフルにもワクチンにも要注意した方がよいと思われます。

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テレビは言葉、ラジオは映像で伝えるという ジャーナリズムの要諦 

暮らし

キャスターは、自分のことばできちんと話す必要があると思う。、これはジャーナリズムの要諦だ。

過日、消費税導入が決まった夜のニュースを見た。
番組では、安倍首相に消費税を上げる理由についてのインタビューカットを入れた後、街頭インタビュー映像に切り替わり、5~6人の市民の意見「企業が儲かるようにならなければ給料もあがらない」「給料は上がらないのに税金ばかり上がるのは困る」などの賛否両論の意見を紹介した。驚いたのは、キャスターは何も話さないまま、次のニュースに進んでしまったことだ。
キャスターのコメントがないニュース番組には、違和感を感じざるを得なかった。

かつて「TVスクランブル」という番組があった。(1982年~1985年、日本テレビで放送)。
司会者は久米宏氏で、久米の希望で横山やすしさんを、解説者として招き入れた。

久米とやすしの絶妙なやりとりや斬新な企画で人気を集めたが、
横山やすしという人は、たとえ間違った意見でも、自分が思った意見はずけずけ言う性格の人だ。
だから、生放送が故にトラブルも多かった。

久米は、当時の番組を振り返って、
「自分は専門家でない。だから解説者として横山やすしさんを連れてきて、そのコメントに対して、自分の率直な感想を言うことにしようと決めた。そしてテレビの前では形だけを取り繕って言っても、どこかで自分の本気がないと、見る人には伝わらないということ心底思った」という。
視聴者は「久米はああいったけれど、自分はこう思う」というような、、対面感覚が生まれるのではないかと。

たとえば、番組で熱帯雨林減少の問題を取り上げた際、日本が問題に大きく係わっている内容であった。
番組では、その放送以降少しでもその問題の改善になればと
番組の進行表を、新聞の折込チラシの裏側に書き入れ、
出演者・スタッフともにそのまま本番中にそれを使用するとともに、それをアピールしながら引き続き問題提起を行っていたこともあった。

さらに、テレビは言葉、ラジオは映像で成り立っていると思う。

ラジオドラマでは、セリフを聴いて情景が頭の中に思い浮かばないのものはわからないし、つまらない。
ラジオの音は私たちの想像力を刺激して映像を見せてくれる。だからラジオには映像という要素が必要だ。
逆に、テレビは言葉が大事だ。映像が映っていても、何を言いたいのか、なぜこの映像なのか、ことばがなければ説明できない。テレビはことばで、見ているものを納得させ、読み聞かせるのだ。
だから、メディアのコミュニケーションにおいて、言葉も映像も中心的役割を果たしている。

前述のニュース番組のキャスターは、ただの進行役としてしか存在していない。
役所から提供される映像資料を右から左へ送り出し、
作成されたタイムスケジュールに沿って進行しているだけである。
キャスターは、なぜこの映像なのか、何を言いたいのかを咀嚼し、自分のことばできちんと話す必要があると思う。

これはジャーナリズムの要諦なのだから。

(藤久ミネ)

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悪政競う自民党  農業潰しがヒートアップ!  

暮らし

自民党は、減反政策を見直し、各種補助金を廃止すると言い出しました。
反面、大規模農家は「育成」し競争力をつけるだそうです。
一見、もっともらしいようにも聞こえますが、とんでもない政策です。
日本の農業を潰してしまって、何故、将来の日本があるというのでしょうか。

補助金制度が、農家の活力を削いでいるとか、やる気のない農家をつくり出している、甘やかしているなどという主張がありますが、とんでもないことです。農家が置かれている現状をみて、どうして、これで農家が楽をしているなどという発想になるのか不思議でなりません。

後継者不足で今後、引き継いでくれるあてもないまま日々、生活をしている農家に対する補助金がそこまで敵視されなければならない社会に異様さを感じざるを得ません。少なくない若者が農家の跡を継ぎたがらないことをみても、決して恵まれた状態ではないことは一目瞭然ではないですか。

もともと食料は誰もが食べるもので代替などありえようはずもありません。
それぞれが責任を持たなければならないのです。


外国から安い食料を買えばいい?
国際競争力が何故、農業分野で必要なのか、単に消費者は安い食料さえ食べられればいいんだという発想は、食の安全に対する視点がまるでありません。食料を生産する国々からカネで買えばいいんだという発想は、札束で生産国の農業従事者の横っ面を張って食料を買い漁るようなものです。

安いからには安いだけの理由があるのであって、単純な「競争」でないことくらいわからないのでしょうか。もともと財界などは食料品が安くなることを「歓迎」し、他方で農家への補償制度を敵視していました。

理由は、
①食料品がやすくなれば賃金を引き上げない、むしろ切り下げることを可能にする。
②補助金を削減することによって法人税現在の財源となる。

ということです。

「悪政競い合う民自公 国民を切り捨てる財界は
自分たちの利益のために、日本の農業を潰し、日本全体をタコ部屋化しようとしているのです。

今後、食料事情が世界規模で悪化していく中で、何故、時代に逆行するかのような農業潰しをしようとするのか、犯罪的ですらあります。誰もが敬遠する農業従事者に相応の所得を保障するのは当然のことです。もちろん減反政策自体は、生産する方向で転換されなければなりません。

さて、ここまで自民党が露骨に農業潰しを始めましたが、
農業従事者の方々は、まだ自民党についていくつもりですか。
自民党についていって未来がありますか。次の選挙で自民党を下野させる覚悟ができないものでしょうか。

これでは自民党に見下されて当然ではないでしょうか。

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将棋女流王座戦1次予選でポーランド女性がまたプロ撃破!!

暮らし

●2012年5月19日 第2期リコー杯女流王座戦一次予選
高群佐知子女流三段 対 カロリーナ・ステチェンスカアマ 棋譜


将棋の第3期リコー杯女流王座戦1次予選が18日、都内で行われ、昨年の同棋戦で外国籍出場者として男女初の公式戦勝利を挙げたポーランド人のカロリーナ・ステチェンスカさん(21)が2年連続でプロを破った。

 

日本語で書かれた定跡書を必死に読み込んで棋力を上げたカロリーナさんは、1回戦で鹿野圭生女流二段(51)を撃破。2次予選進出がかかった2回戦の山口恵梨子女流初段(21)戦では、母国では少ない地震が対局中に発生。動揺もあったのか、見せ場もなく敗れた。

「緊張もなかったし、もっと勝ちたかった。地震? ここは日本ですからね」

 6月下旬には男性のアマ強豪がひしめくアマ竜王戦に女性として初めて出場する予定。

現在は母国の大学でITを学んでいるが、卒業後に来日して女流棋士を目指すつもりだ。「将棋は美しい。ドラマチックなところに引かれます」と、青い瞳で前を見据えていた。

ソース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130518-00000239-sph-soci

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うつ病の日本を離れ 中国で働く400万人の日本人の代表に エールを

暮らし

1980年代からの30年間、中国に進出した日本企業は2500社を超えるといわれている。
現在、その中の12%の3000社が「中国からの撤退を検討している」と答えているそうだ。
ただ残りの2万3000社(日本人関係者400万人)は、今後も中国に留まり、操業を続けていくという。

マスコミや専門家からは、日中関係悪化が伝えられて久しい。そのため日本政府は、現在も中国内で働いている400万人の在中邦人に対して、最優先に正確な外交情報を伝えられるべき義務がある。しかし、いままでも一切伝えることはないというのが現地の声だ。本来なら、日本政府は、国民の安全と国益を優先に動くべきために存在しているが、日中関係を悪化させることに加担し、一部の人々の愚業を止められないことに対しても、呆れてしまうばかりだ。

具体的に、ジェトロ統計からは、日本と中国取引は、どちらが欠けてもお互いの国の経済で立ち行かなくなることがわかる。ましては日中戦争など起こり得ないことは明白だ。

日中貿易グラフ

グラフは、対中国との貿易額であるが、1990年より、毎年10%以上の伸びを示しており2011年の輸出は16.2兆円、輸入は18.3兆円であり、どちらも日本の対外貿易のおいて第一位である。

ちなみに、アメリカと中国の貿易は、総額45兆円。中から米への輸出は27兆円、輸入は18兆円である。
毎年アメリカは、中国に対して9兆円もの貿易赤字を生み出している。かつて、アメリカと日本で起きた米日貿易摩擦と同様に、膨大な赤字計上となっているので、アメリカは苦々しく思っているのだ。

2004年に対中国の貿易額(輸出入合計)が、対米国を上回ってから、毎年拡大しており、2011年は対中国の世界貿易シェアは23.3%となり、米国の11.9%を大きく凌駕している。日本と中国の貿易の規模は、2004年の日中貿易(輸出入合計、香港を含む)で、22.2兆円と米国の20.5兆円をはじめて上回り、中国は、日本にとっての最大の貿易相手国となった。

日本の対世界貿易における中国と米国のシェアの推移を見ると、米国は1980年代後半には3割近くのシェアをしめていたのが、近年、低下傾向となり、2004年には18.6%とはじめて2割を切っている。

これに対して、中国は、1991年までは1割未満のシェアであったが、2001年の中国のWTO加盟を契機として、最近急速にシェアを高め、2004年には20.1%とはじめて2割を越え、「米中逆転」の様相を明確にしている。
日中貿易拡大の要因としては、日本企業が生産拠点を中国に移し、中国で現地調達できない基幹部品等を日本から輸出、また最終製品のかなりの部分を中国から逆輸入する流れが加速しているのが大きい。

10年前には食料が不足して、とうもろこしを、アメリカやカナダに頼っていたことも事実だ。エネルギーも石油が自国で産出できないため、輸入で賄っていた。しかしいまでは、計画生産で、足りないのは大豆だけだし、石油は足りないが、60%の石炭と、石油はベネズエラや中東から運んでいる。
仮に、アメリカが、日本をけしかけて経済封鎖を行っても、困るのはアメリカの方だと思う。
なぜなら、アメリカ国内では、製品をつくるインフラがないからであり、中国からの輸入に頼り切っているのもアメリカなのだ。


世界には、1億人を超える華僑というインテリジェンス集団がいる。彼らは、自国の国益や発展のために、逐次、中国本国に、世界中のありとあらゆる情報や知識を報告し、集約しているのだ。当然、日本での対中国に関する偏向報道の真意はつかんでいる。

実際、数年度に覇権国家アメリカは崩壊することは確かだが、その後の世界で生き延びる人たちは、自分たちに目と耳で得た情報を基に活躍できるタフで柔軟な人物が必要だ。

技術立国を目指す段階では、良い製品を作るために、横並びの技術者がいれば良かった。しかし、未来が見えないこれからは、商品に付加価値とサービスを付けて売れるタフな人物が必要だ。その人物像を例えるなら、未だ経済復興に明るいきざしが見えない日本を脱出し、今後中国に留まることを決定した実際、中国で働いている400万人の日本人たちだ。

彼らの先見の明と勇気と行動力に、心からエールを送りたいと思う。

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北朝鮮核実験の人工地震波形と 東日本大震災の 人工地震波形比較

暮らし

上は、気象庁が観測した北朝鮮の核実験の人工地震波形。
下は2002年(平成14年)に北朝鮮で発生した自然地震の波形です。(気象庁提供)


気象庁によると、12日午前11時57分ごろ、北朝鮮でマグニチュード(M)5・2の地震を観測した。地震津波監視課は「地震の波形からして自然の地震ではない可能性がある」として、データの分析を進めているという。  
同課によると、北緯41・2度、東経129・3度の北朝鮮北東部が震源で、震源の深さは0キロとみられ、震源は海上ではないとみられる。

自然地震の場合、観測する地震の波形は小刻みな揺れから大きな揺れに推移するが、地下核実験による震動は最初から振れ幅が大きいという。今回の波形は最初から大きな揺れを示したとみられる。

平成21年5月に実施された前回の北朝鮮による核実験では、同様に北朝鮮北東部が震源で、推定Mは5・3と同程度だった。


ちなみに、以下は3.11の波形です。


北朝鮮の人工地震波形と同様に、余震などの前兆がなく地震が起きています。


NHKが自粛したサイエンスZEROの東日本大震災動画を再アップしました。
http://v.youku.com/v_show/id_XMzY0OTgxOTMy.html

タイムラインの03:30~08:00必見です。
人工地震3連発の波形のことが説明されています。

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けんかのやり方で見る各国の国民性=「日本は米に殴ってもらう」

暮らし

かつてインターネットで、
世界各国の国民性をけんかに例えたものが出ていた。以下はその内容。

アメリカ人:殴りたいやつを殴る。
イギリス人:アメリカが殴ったやつを殴る。
ロシア人:自分の悪口を言ったやつを殴る。
フランス人:殴られたら殴り返す。
日本人:殴られたら、アメリカに殴り返してもらう。
イスラエル人:自分を殴りたいと思っている奴を殴る。
韓国人:殴られたら、アメリカと合同演習をする。
北朝鮮人:誰かに殴られたら韓国を殴る。
中国人:殴られたら罵り返す。

結構、言い当てている気がする。如何だろう。

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日本の治安の良さと 日本政府が封印した凶悪暗殺犯 (2万体検視監察医日記より)

暮らし

テレビや新聞は、連日のように凶悪事件報道を行っている。
そのせいか、我々は知らず知らずのうちに、体感治安感が高まり、「日本の治安は悪く、年々凶悪犯罪が増えている。警察は犯罪者をどんどん捕まえてくれ」という認識をもたされている。
しかし本当に日本は、テレビや新聞での報道されているような犯罪大国なのだろうか。

実は、2011年の日本国内の殺人事件認知件数は1051件である。この数はアメリカの10分の1、EU諸国と比べると3分の1にしかすぎなく、日本はカナダと同等の世界有数の安全国家のひとつである。日本においての殺人事件件数が多かったのは、1958年の2,683件である。その後、年々減少しているのだ。

しかし、日本のメディアはこの「日本は世界でも安全な国のひとつであること」「凶悪事件が年々減少していること」は、一切取り上げていない。逆に、凶悪事件の報道比重を高めている。

あなたの知り合いに日本在住の外国人がいたなら、「日本のテレビをどう思うか」と聞くと、
口をそろえて「日本はどこよりも安全な国なのに、なぜテレビでは犯罪報道を繰り返し報道するのか」と疑問を呈すると思う。そのくらいマスコミ報道が、日常と乖離していることがわかる。

マスコミによる犯罪報道の増加は、18年前(1995年)に起きたオウムサリン事件をきっかけに増えている。

オウムサリンテロ事件は、13人の死刑判決と5人の無期懲役判決が出た。しかし未だに「なぜ麻原死刑囚がサリンを撒くことを指示したのか」「動機はなんだったのか」が解明されないまま結審している。
一方で、捜査権力へも、このテロ悪事件を引き起こすまで教団幹部泳がせていたことに対して、国民からのはげしい非難が寄せられた。

それを受けてか、その後の警庁長官は、生活安全局出身の警察官僚が就任し、逮捕より防犯へシフトし、同時に監視カメラの設置や、犯罪予防対策などへシフトする結果となった。

しかしその結果、捜査当局の能力劣化が課題となっている。
従来にない犯罪(外国人犯罪やサイバー犯罪など)に対して、まったく対応できないのだ。

捜査員の外国語能力や最新犯罪への技能的問題もあるが、悪い連中を調べるノウハウがないことだ。ひとたび外部から異分子が入り込んだとき、なすすべを持たない
日本では、「おとり捜査」や「司法取引」が違法であり、自白調書しか認められないこともあるが、高まる世論の注目と、逮捕実績数のギャップを埋めるために、捜査権力はどうするか。

それは、えん罪・捏造事件を引き起こす元凶となっている、無理をしての捜査や違法逮捕を行う。
しかし、はじめから犯罪を犯す目的で入国した外国人には、まるで太刀打ちができないのが現実だ。

平成3年の筑波大学助教授殺人事件、平成7年の八王子スーパー強盗殺人事件、平成13年の世田谷一家殺人事件など、明らかに外国人のプロの殺人犯の可能性の高い。それが、初動捜査や捜査方法などのミスで未解決事件となっている。

私見だが、上記未解決事件の検死結果から、犯人が外国人である可能性が高いことを推定してみた。

■「筑波大学助教授殺人事件」(平成4年)
この事件では、死亡解剖の結果から奇異な点があった。
死体には無数の切創群があったが、致命的な部位を狙っておらず殺意が感じられなかった。
一方、頸部だけは執拗に切り裂かれていた。
犯人は、まず切創によりダメージを与え、抵抗力を排除してから頸部を襲ったと考えられる。
この手口は、殺人訓練を受けた者による犯行と考えられる。
実は、警視庁では、事件の翌日7月12日に、成田空港からバングラデシュのダッカに出国していた犯人を掴んでいた。この人物は、事件前日まで、筑波大学第三学郡情報学類に在学していたイスラム文化圏の学生だ。日本政府内の国益重視派から出た「日本とイスラム兼との外交に悪影響を与える」との意見で、この犯人逮捕は見送られた。誠に残念な結果だった。

■八王子スーパー強盗事件(平成7年)
閉店後に女性店員1名と、アルバイトの女子高生2名が拳銃で射殺された。3人はともに一発で頭を打ち抜かれており、ほとんど即死の状態だった。
一般的に銃弾が頭を貫通すれば、即死すると思われがちだが、即死するのは自立神経の中枢である脳幹を貫通した場合だけだ。それ以外だと昏睡状態にはなるが、心拍動も呼吸も続いているため、即死にはならない。
この検死結果から、犯人は銃の扱いに慣れており、どこをどう打ち抜けば即死するか熟知している人物だ。おそらく戦争などの実践訓練を積んだ者か、マフィアなどの外国人のプロの殺人犯の仕業かと思われる。

■世田谷一家殺人事件(平成13年)
犯人は最初に長男を片手で締め殺し、次に3人を、まず喉を切り裂いて声を出せなくしてから殺している。主人のM氏は、顔などをメッタ切りされており、最後に脳天に包丁を突き刺すという残行為を行っている。これは冷酷なプロの仕業だと思われる。
犯人が殺人現場に残したA型の血痕から。ミトコンドリアDNAを検出され、「H15型」という分析結果が得られた。これから容は疑者の母系はアドリア海、地中海沿岸に住む欧州人。父系からは、日本を含む韓国、中国人のアジア人。まとめると日系ハーフの犯人である可能性が高い。


上記凶悪未解決事件の犯人像に関してどう思われますか。




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外国人寄生虫株主に 利益を吸い取られている 日本企業の実態

暮らし

まずは下の棒グラフをご覧ください。青い棒で表されているのは、各年度の大企業が支払った株主配当金の総額の推移です。(2000年を100とした相対値です。)
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これを見ると、2000年頃を1つの区切りとして、これ以降急激に配当金が膨れ上がっていることがわかります。この変化の背後には、何があったのでしょうか。

一昔前になりますが、「企業は誰のものか」という問いかけが盛んになされたことがありましたね。この問いかけには、「企業は従業員のものでもある」という日本的な考え方に対する批判が込められていたことも、記憶にある方が多いかと思います。要するに、「株主の出資によって企業ができている以上、企業の所有者は株主であるのは当然であり、経営者は株主の利益を最大限にするように行動をするのは当然である」…こういう考え方こそ正しいとされたわけです。

この立場に立てば、企業は株主の利益ができる限り大きくなるように行動するのが当然であり、従業員に支払う給与にしてもできる限り小さくする方がよいということになるはずです。以下のグラフはサラリーマンの平均年収の推移を表したものです。このグラフを見ると、配当金の急激な上昇のあった2000年(平成12年)前後から以降において、サラリーマンの平均年収がどんどんと下がっていったことが如実に理解できると思います。
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企業感が変化したのに伴って、株主への配当金が激増するのとまさに反比例するように、サラリーマンの給料がどんどんと下がっていったわけです。そして、勤労者の所得がどんどんと減っていく環境にあっては、需要減退によるデフレ圧力が強まっていったのは、ある意味当然のことだったともいえるかと思います。

では、こうした「企業は株主のもの」という企業観はどうして広がっていったのでしょうか。以下のグラフをご覧ください。日本の上場企業のセクターごとの持ち株比率の推移を表しています。特に注目していただきたいのが、1990年頃から上昇トレンドに入ってきた外国人の持ち株比率の推移(赤色)です。
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外国人株主の比率の上昇によって、当然外国人株主の発言権が強まることになります。そして彼らは自己の利益を最大化させるように、株主への配当金を引き上げることを求めてきたのです。その圧力に屈したのか、あるいはその理屈を正当なものだと認めたのかはわかりませんが、いずれにせよ、外国人株主の要求に従う決定を日本の企業は行っていったわけです。

さて、形式論理的には、企業は株主のものであるというのは、疑いようもなく正しいといえるかもしれません。しかしながら、日本には昔から「お互い様」という考えがあり、形式論理に基づいて導き出される権利や自由を絶対視することに対して、直感的におかしいと感じる感覚がありました。

実際、人間も企業も社会の中に埋め込まれた存在であり、社会を離れて存立するものでは断じてありません。従ってこうした見地から企業を捉えれば、企業は社会的な存在であるともいえます。そして企業は社員が集まることで成り立っており、社員もまた企業の構成員として認められるべきものです。

こうした見地に立てば、企業は社員のものでもあります。つまり企業は、株主のものでもあるだろうけれども、社会のものでもあり、取引先のものでもあり、従業員のものでもあり、顧客のものでもあるという考え方も成り立つはずです。そしてこのような見方が伝統的な日本的な見地でした。このような日本的な見地は、富が偏在化するのを防ぎ、均衡の取れた発展を実現するのに適しているともいえるものだったでしょう。

現代に生きる私たちが忘れかけているこのような日本的な美風は、むしろ健全な国家の成長に資するものでもあるのです。「これまでの古い日本を徹底的に解体すべきだ」という構造改革派の論調は、このような背景を見落とした議論ではないでしょうか。

今こそ、日本的美風を回復すべき時期ではないかと思わずにいられません。

http://ameblo.jp/minna4970/

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放送業界の大チョンボ タダ見し放題B-CASカード問題(3)B-CASカードの真の欠陥とは何か

暮らし

そもそもB-CASカードが解析された原因は、技術的な欠陥よりも、その技術の“運用”、つまりは使い方や日本のデジタル放送業界の体制の問題が大きいだろう。

まず、前にも述べた通りDRM技術には100%欠陥がある。DRM技術を売り込む業者は、まさか自社の製品に欠陥があるとは口が裂けても言えないが、欠陥のないDRM技術がどこにも存在しないことはコンピューター業界の常識である。たとえ一部のB-CASカードにバックドアという技術的な欠陥が存在していなくても、暗号化手段と鍵がカードの中に存在する以上は、解析されるのは時間の問題であった。そこを運用でカバーしなかったことが間違いだ。

また、B-CASカード特有の問題もある。クレジットカードやキャッシュカード、電子マネーであれば使用履歴がサーバーで集中管理されているため、不正使用の発見が比較的容易で、即座にカードを使用停止させることもできる。また、システムに欠陥が見つかっても、サーバー側の改良で対処できる場合が多い。しかし、B-CASカードの場合は放送を使ってデータを一方的に送信することしかできないので、同じような対処は不可能だ。そのため、欠陥が見つかれば非常に対処しにくいシステムと言える。

セキュリティというのは、技術だけでなく、社会的なリスクということも考慮に入れなければいけない。インターネットで言うならば、例えば有名人のブログのセキュリティと、ネットバンクのセキュリティとでは、そのリスクの大きさも性質も全く異なる。もし、その有名人が反感を買いやすい人物なら、ブログにいたずらをするために前者のセキュリティを突破されるリスクが高いだろう。

後者は他人の財産に手を付けることになるので、単なる悪ふざけで突破しようとする人はいないだろうが、真に悪意を持つ者により突破されてしまったときの被害は甚大だ。だから、前者と後者をごっちゃにして、例えばブログのセキュリティが破られたらネットバンクのセキュリティも破られるような仕組みにしておくのはナンセンスである。ところが、B-CASの場合はまさにこれをやってしまった。無料放送のDRMと、有料放送の視聴制限という全く別の目的のために、全く同じ技術を使ってスクランブルをかけたことだ。

放送のような無線通信技術の愛好者は全世界に散らばっているが、彼らには研究として他国の放送を受信する文化がある。また、報道機関や調査機関が情報収集のために他国の放送を受信している。受信状態を受信報告書にまとめて国際郵便で放送局に送ると、放送局はそのお礼として「ベリカード」と呼ばれるものを返す習慣もある。

もし、ある国の多くの国民が無料で受信しているのに、スクランブルをかけられている放送があればどうなるか。世界中の技術者に対して、スクランブルを突破してくれと言っているようなものである。しかも、日本の放送コンテンツは世界中で需要があるので、なおさらリスクが高い。

日本国内においても、著作物をコピーすることは、個人的な利用や、調査研究、報道目的であるのなら全くもって正当な行為だ。そして、B-CASというシステムの特性上、正当な行為のためにDRMを破ることと、有料放送の視聴制限を破ることとは紙一重だ。

B-CASカードを破る方法が明るみになったのは2012年になってからだが、実際はもっと以前、おそらくFriioでカードなしで地上波放送を見られるソフトが出回っていた2008年頃には何者かによって既に破られていたものと考えられる。問題が発覚しながら、4年も放置されてきたわけだ。

そして、2012年2月には書き換え済みのB-CASカードを「BLACK(ブラック) CAS(キャス)」という名前で販売する者も現れた。いずれも台湾で製造販売されており、日本国内で逮捕者が出た現在も堂々と販売されている。こんな形でも「狡猾な人が得をし、正直者は損をする」状況になっているのである。

日本はACTA(アクタ)(偽造品の取引の防止に関する国際協定)により海外でも取り締まりを可能にするべく動いているが、少なくとも放送について取り締まることは難しいと考えられる。冷戦時代を思い出せば分かると思うが、無料放送であれ有料放送であれ「国外の放送を受信したら逮捕される」というような制度が国際社会において受け入れられるということは、ちょっと考えづらいからだ。

電波に国境がない以上、本来なら放送においては発信する側が万全の対策をする責任がある。デジタル放送業界が、B-CASカードが破られた場合に対処するための現実的な手段を何も用意していなかったのであれば、B-CASというシステムの運用には、何重もの重大な欠陥があったということになる。

では、対処するための現実的な手段とは何だろう。ネットバンキングを利用した経験のある読者であれば、銀行から送られてきた「トークン」と呼ばれる乱数を生成する機器を使用したことがあるかも知れない。筆者が利用しているジャパンネット銀行がそうで、振込などの操作の度に1分おきにトークンに表示される乱数を入力する仕組みだ。このトークンには有効期限があり、5年毎に銀行から新しいトークンが送られてきて、古いトークンは使えなくなる。

もし、B-CASも同じようなシステムであれば、今のような事態は避けられただろう。内部の暗号化手段を入れ替えた新しいカードを利用者に届け、古いカードを無効にしてしまえば、また新しいカードの中身が解析されてしまうまでの時間稼ぎをすることが出来る。

今からそれをやればいいのかも知れないが、実はそれも至難の業だ。まず、カードの再発行費用を誰が負担するのかという問題がある。前述の銀行の例であれば、利用者の預貯金を運用することでその費用を捻出出来る。しかし、B-CASカードの場合、無料放送だけしか見ない視聴者は定期的に金銭を支払っているわけではない。有料放送だけであれば視聴料に上乗せすることもできただろうが、現状では視聴者に新たな負担を求めるか、あるいは別のところから捻出(ねんしゅつ)するしかない。

もし、新たな負担を求めるという選択をした場合、視聴者の反発は必至だろう。NHKの受信料拒否運動がますます勢いづくかも知れない。しかも、放送業界はB-CASカードというシステムの欠陥を認めて、視聴者に説明しなければならなくなる。今の放送業界に自らそのようなことが出来るようには見えない。

では、放送局やB-CAS社が費用を負担する場合はどうか。これも悪夢が待っている。B-CASカード、今までに約1億5000万枚が発行され、これは明らかに実際の視聴者数や受信機の数と乖離(かいり)している。カードを交換するにしても、このうち何枚を交換することになるのか分からない。

また、B-CAS社はカードの利用者を把握していないと言われる。すると、クレジットカードのように、新しいカードを送りつけて、古いカードを破棄してもらう方法を取ったとすれば、事実上タダでカードをばらまくのと同じことになってしまう。いずれにしても、新しいカードが全ての視聴者に行き届く保障はどこにもない。その状態で古いカードを無効とし、新しいカードでしか解除できない暗号を使って放送をしたらどうなるか。突然放送が見られなくなる世帯が続出するだろう。そのタイミングで大規模な災害でも起これば、取り返しのつかないことになる。

B-CASカードは受信機と一体?
さて、B-CAS社は本当にカードの利用者を把握していないのか。B-CAS社のホームページによればカード使用者変更の手続きが存在し、問い合わせ先電話番号が書かれている。そこで、実際にB-CASカードを入手して、使用者変更の手続きを行なってみた。ちなみに、フリーダイヤルではなく、210秒で10円の通話料金がかかる。また、最初にサービス向上のために会話は録音しますというアナウンスがされる。

「B-CASカードを譲り受けたので使用者変更の申請をしたいのですが」

「中古機器と一緒にB-CASカードを譲り受けたということでよろしいでしょうか?」

「中古の機器とは別に、カードが余っているという人から譲り受けたのですが」

「少々お待ち頂けますか」

そうして待つこと1分半、こんな答えが返ってきた。

「本来ですね、B-CASカード単品で譲り受けるという行為はお控えいただいているのですが。基本的には、不要になったB-CASカードはB-CAS社にお返しいただいて、中古機器をご購入された方には、改めてご購入をお願いしているんですね」

それなら、なぜ使用者変更の手続きが存在するのか。よく聞いてみると、約款上カードは機器と一緒に譲渡することになっており、今回のようなケースでは一旦カードを返却して、2000円で再発行するということになるという。

しかし、何だかんだで「今回に限って」ということで使用者変更の手続きをしてもらえた。カードの番号と住所と電話番号を伝えると、後日約款を送付するということになり、最後に「いらなくなったら返却していただくようにおねがいしますね。連絡すれば返却用封筒をお送りしますので」と念を押された。

どうだろう? 何となく釈然としないものを感じたのではないだろうか。もしカードと機器が一緒に譲渡されることになっているのであれば、カードと機器は1対1で結び付けられることになる。そして、機器の譲渡と一緒に利用者変更が必要で、その度に住所と電話番号を聞かれるのであれば、B-CAS社は受信機に1台1台番号をつけて、個人を追跡可能ということになる。そして、B-CASの仕組みの上では、いざとなれば特定の受信機への放送を止めてしまうこともできるのである。どこの全体主義国家の話だろうかと思ってしまう。

では、カードを返却してまた再発行するとなると、あまりに非効率だ。使用者変更の手続きが存在し、現に私の場合「今回に限って」手続きを受け付けてもらえたのだから、2000円を支払うのは馬鹿らしいと誰でも思ってしまうはずだ。

もちろん、電器店で受信機を買っても個人情報を登録することはないし、B-CASカード単品や、カードが内蔵された受信機が堂々と中古で売買されており、誰もB-CAS社に対して使用者変更の手続きなどしていないことは読者もご承知のとおりだ。B-CAS社が約款で定めている「タテマエ」と実態が完全に乖離しているのだ。

さて、数日後B-CAS社から約款が届いた。しかし、約款にはB-CASカードを受信機と一緒に譲渡しなければいけないということはどこにも書かれていない。禁止事項としては、DRMに対応していない機器で使用してはいけないとされているだけで、使用者変更の手続きについても書かれている。

B-CAS社に、約款の内容についてさらに問い詰めてみると、結局は「約款上は単品での譲渡はできないわけではないですが、あまりお勧めはしない」ということだった。そして、2011年3月まではカードの利用者の情報を登録していたが、現在はあくまで利用者変更ということで、利用者の情報までは把握していないということだった。つまり、利用者変更といっても約款を送るという、言わば儀式のようなものに過ぎないのだ。

しかし、まだ疑問は残る。B-CAS社に電話した時、約款の送付には必要ないはずのカードの番号を聞かれたし、しかも会話の内容を録音しているということだった。この点についてB-CAS社に聞いてみると、録音内容は1年間記録されているという。ということは、B-CAS社は少なくとも音声として利用者の情報を1年間保持しているということになる。

繰り返しになるが、これらはあくまでタテマエだ。実際は誰も使用者変更などしていないのだから。しかし、使用者変更をしないことはB-CAS社の言い分では約款違反になるわけで、多くの視聴者が不正行為を行なっているということになる。果たして、こんな状態でB-CAS社の約款が有効と言えるのだろうか。

そして、このB-CASカード、管理もズサンである。カードは受信機のメーカーがB-CASから購入して、受信機と一緒に電器店に卸す仕組みになっている。もちろん、カードがメーカーに渡った時点で、B-CAS社はそのカードの行方を把握していない。つまり事実上はB-CAS社がカードを貸与しているわけではなくて、文字通り売り切っているのである。

さらに、「白B-CASカード」というものがある。これは電器店が店頭で受信機を展示販売するためにあるものだ。このカードの普通のカードとの違いは、例えば普通のカードではNHKの衛星放送を料金を払わずに見ていると、契約を促すテロップが表示されるが、白B-CASカードではそれが出ない。そのため、本来は電器店の展示品だけに使われて、一般には出回らないはずのものだが、堂々とネットオークションで売られていることがある。

そのカラクリについて、ある電器店の店員に聞いてみると、こういうことだった。

「あれはメーカーから電器店に送られてくるんですよ。貸し出されている? そんなことはないですよ。送られてきたら、あとは放ったらかしです。商品の入れ替えの時にカードが余るので、大抵は廃棄してしまうのですが、店員が持って帰ることもありますね」

さらに、声を潜めてこう語る。

「大体、テレビの流通なんていい加減なもんですよ。メーカーが電器店に卸した製品を、なぜかメーカーが買い戻して、また出荷するなんてことをやってます。まあ、出荷台数の水増しでしょうね」

ということは、実際の受信機の数と「出荷台数」が一致していないこともあるわけで、これなら余剰のB-CASカードが多数出回っても不思議ではない。

“見せしめ逮捕”以外に対策はあるのだろうか
電波を発信するという行為には、法律や国際条約によって様々な制約がある。無秩序に電波が発信されてしまうと、混信によりまともに電波を利用できなくなってしまうからだ。そして何より、取り締まりには実効性がある。電波の発信源を割り出すことは技術的にはたやすいことで、違法に電波が発信されていれば、その現場を押さえることが出来る。

それに対して、電波を受信する行為は自由度が高い。憲法で「通信の秘密」があるためか、一応電波法には特定の相手に向けた無線通信を「傍受(ぼうじゅ)してその存在若しくは内容を漏らし又はこれを窃用(せつよう)してはならない」という定めがあるが、これも受信すること自体は禁止していない。電波は国境も関係なくどこにでも飛んでいき、受信するだけであれば、誰がどこで受信したかということを特定することは技術的に不可能だからだ。つまり、取り締まりの実効性がほとんどない。

冒頭で述べた「電磁的記録不正作出・同供用」という容疑にしても、B-CASカードを書き換えて使ったことを公言しなければ、誰にも分からない。特にネットワーク機器にもつながっておらず、純粋に放送を受信するだけの機器を使っていれば、家宅捜索でもされない限り、絶対に分からない。視聴した後に番組を録画せずカードを処分してしまえば、証拠も残らない。さらに、パソコンの中身をすべて暗号化した状態でSoftCASを使えばやりたい放題だ。これらの行為を推奨するわけではないが、紛れもない事実なのだ。

欠陥法として有名なものに、かつてのアメリカの禁酒法がある。この法律はほとんどの人が守らなかったので取り締まりに実効性がなく、“法律を破る行為”の需要があまりに高かったので、違法行為を行うことが当たり前になり、かえって法秩序の崩壊を招いた。B-CASカードの問題も、それに近い状態になりつつある。

本質的に安全でない技術を、一般の人が理解できないのをいいことに、誰かが無理やり押し付けたのではないか。乗っかった人も実は理解できていないのに、理解したつもりになって過信した面もあるのではないか。そして、欠陥を知る技術者がそのことを言い出せないか、あるいは言っても誰も聞く耳を持たないような状態に陥っていたのではないか。私の心配は全くの想像で、杞憂(きゆう)なのだろうか。

無料放送と有料放送に同じ仕組みでセキュリティをかけたことが問題の原因の1つであることは前に述べたとおりだ。これに関しては、実は改善がはかられつつある。2011年10月31日に総務省の「デジタル・コンテンツの流通の促進等に関する検討委員会(第60回)」で「新コンテンツ権利保護方式(新方式)」と呼ばれるものが発表された。

これは、地上波デジタル放送ではB-CASカードを廃止し、スクランブルの解除のための鍵を受信機の中に内蔵してしまおうというものだ。鍵は相変わらずB-CAS社が管理するが、受信機メーカーは別の社団法人(地上放送RMP管理センター)を通じて鍵を受け取るという仕組みだ。新方式は2012年7月末から関東地方を中心に徐々に始まり、2013年4月に全国で運用開始されることになっている。

しかし、新方式についても課題が多い。現行のB-CASカードを使った機器をいきなり使えなくしてしまうことはできないので、当分は旧方式と新方式が併存することになるが、では、いつ旧方式を廃止するのかということまでは決まっていない。それまでは、タダ見できる現状は変わらない。もちろん、新しい方式が破られない保障はどこにもない。むしろ、また破られてしまう可能性が高いだろう。

一番の被害者は、契約しなくてもタダ見できるような欠陥システムに料金を払わされ続ける有料放送の契約者だろう。しかし、無料放送のスクランブルを解除し、有料放送のスクランブル方式を変え、有料放送の事業者が新しいカードを契約者の元に届ければ一気に解決するはずだ。当然、そうすれば無料放送のDRMは無効になる(もちろん事実上DRMはとっくに破られているので形式的なものだ)が、CMを収益源としている無料放送の事業者にとっては、そのことによる損害はゼロに等しい。強いて言えば当初からDRMにこだわってきた放送業界の“メンツ”の問題に過ぎないだろう。

そもそも技術の欠陥と運用のまずさが原因であるのに、それを取り繕うかのようにDRMを解除する行為を法律でガチガチに縛るために著作権法、不正競争防止法の改正が次々と行われている。結果として、放送の受信のみならず国民全体にとってデジタルコンテンツを利用する自由が狭められていく動きは、当分おさまりそうにない。放送業界のメンツは、かつて冷戦の終結にもつながった“放送を受信する自由”よりも、重いものなのだろうか。

なお、2012年8月30日に共同通信の記事「料デジタル放送カード刷新へ 「タダ見」根絶狙い」によれば、有料放送の事業者がセキュリティー対策を強化した新しいカードを配布することを検討しているという。おそらくカードの書き換えはされなくなると思うが、SoftCASへの対策はどうするのかなど、具体的にどのような強化が行われるのかは不明である。いずれにしても、地上波デジタル放送のスクランブルが事実上破られた状態は変わらないと考えられる。

一方、京都大学関係者によれば、多田光宏氏は現在保釈されており、大学は処分を検討しているものの、本人は裁判では争う意向であるという。2012年11月12日現在、公判がいつ開かれるかは未定である。


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放送業界の大チョンボ タダ見し放題B-CASカード問題(1)

暮らし

2012年5月中旬頃、日本のデジタル放送を受信するチューナーやテレビ等には必ず入っている、B-CAS(ビーキャス)カードを書き換えするためのソフトウェアが出まわり、誰でも簡単にWOWOWやスカパーなどの有料放送をタダで見ることが出来てしまうことが明らかとなった。その事実は複数のブログで紹介され、新聞でも報道された。カードの書き換えはパソコンと、税金の電子申告などに使うカードリーダがあれば簡単にできてしまうことから、各地でカードリーダーの売り切れが続出する事態となった。

6月に入って、さらに自体は急展開を見せる。堂々とブログでカードの書き換え方法を紹介していた「平成の龍馬」こと多田(ただ)光宏(みつひろ)氏が、6月19日に電磁的記録不正作出・同供用の疑いで京都府警に逮捕された。さらに、書き換えのためのプログラムをネットで配布した人物も不正競争防止法違反容疑で逮捕された。このことはテレビでも報道され、これを機に、カードの書き換え方法を紹介していたブログやウェブサイトは次々と姿を消した。

しかし、これは事態の収束を意味していない。書き換えのためのプログラムは現在でもネット上に出回っているし、秋葉原の電器店などでは「書き換えをしよう!」と言わんばかりに、B-CASカードとカードリーダが一緒に販売されている。放送局側は未だに何の対策もしておらず、書き換えたカードで有料放送を視聴できる状況は今も変わっていない。京都府警の捜査にしても、ネットでは「不公平な見せしめ逮捕ではないのか」「そもそも逮捕は無理筋で、裁判で有罪にすることはできないのではないか」といった批判の声も聞かれる。

どうしてこんなことになってしまったのか、ほとんどのメディアは沈黙したままだ。特にテレビに至っては、報道できるはずもないのだ。それは、単なる不正書き換えであるとか、カードの技術的欠陥であるといった問題だけでなく、問題の核心に触れるためには放送業界が作りあげてきた現在のデジタル放送の“制度”そのものが抱える根本的な問題を避けて通ることはできないからだ。

メディアが取り上げにくいもう1つの理由として、問題を理解するには放送技術についての専門知識が必要になるということもあるだろう。そこで本誌では、なるべく一般の読者でも分かるように、これらの問題の核心を解説していこうと思う。

膨大なデータを家庭に届けるデジタル放送
まず、デジタル放送の仕組みから解説しよう。ご存知の通り、デジタルは0と1の信号を組み合わせた、数字の羅列によってデータをやりとりする方式のことだ。これはインターネットで使われているものと全く変わらない。ただし、放送の場合は空から電波として一方的にデータが“降ってくる”という点が異なる。

デジタル放送の情報の伝送速度は、地デジの場合15Mbps(メガビット毎秒)、衛星放送の場合12Mbpsである。これは0と1の組み合わせがそれぞれ1秒あたり1500万回、1200万回あることを意味する。そう言われてもピンとこない人が多いと思うが、これは大変な速度である。家庭用のインターネットの光ファイバー通信回線が100Mbpsと宣伝されているが、実際は10Mbpsも出てればよいところであり、しかも接続先のサイトや、その時々によって速度にばらつきがある。しかしデジタル放送の場合は、全く同じ通信速度で安定して途切れなく家庭に情報が配信されるという特徴がある。もし、この通信速度を文字情報の伝送に使うとすれば、1秒間に本誌「同和と在日」書籍版に換算して約400ページ分に相当する文字情報を送ることができる。

放送局が放送内容を発信し、家庭でそれをテレビに映し出すためには、0と1の組み合わせをどのように送って、どのように家庭のテレビに再現するかという取り決めがなくてはならない。デジタル放送では、この取り決めとしてMPEG2-TS(エムペグツーティーエス)という国際標準方式を採用している。この方式では、0と1の組み合わせ1504回分を1つの塊(パケットと呼ばれる)として分割し、テレビに必要な映像や音声だけでなく、文字情報も載せられる仕組みになっている。

地デジの場合は、このパケットが1秒間に1万個近くも送られてくることになる。全てのパケットを映像と音声に使う必要はなく、他のデータを載せたパケットを織り交ぜながら送ることができる。例えば放送局が1秒間電波を飛ばす間、9000個のパケットに1秒分の映像と音声の情報を載せ、残りの1000個のパケットに番組名などの文字情報を載せるといったことが出来る。このように10分の1のパケットだけを文字情報に割り当てるとしても、書籍に換算して毎秒40ページ分くらいの文字情報を送れる計算である。

テレビをつけると、すぐに番組名などが表示されるのは、この豊富なデータ量を利用して同じ文字情報を2秒毎に繰り返し送っているからだ。後述するが、この映像と音声以外の情報は、個別の受信者のB-CASカードに書き換えをすることさえ出来るようになっている。

B-CASカードが必要なワケ
デジタル放送の方式は、国際標準をはじめとして、文書として公開されている。デジタル放送を受信する機器のメーカーは、この公開された文書に書かれた方式に従って機器を作りさえすれよいということになるのだが、日本では事実上そうなっていない。なぜなら日本のデジタル放送は全てスクランブル、つまりは暗号化がされている。その暗号を解除するためには、中身は非公開とされているB-CASカードを使用しなければならない。

放送についてのルールを定めた法律である「放送法」では、NHKや代表的な民法などの「無料放送」とWOWOWやスカパーなどの「有料放送」が区別されており、有料放送の受信には放送事業者との契約が必要だが、無料放送については同様の規定はない。なので、本来は無料放送は自由に受信してよいものなのである。

しかし、前述のとおりデジタル放送は無料放送であっても暗号化されており、暗号の解除にはB-CASカードが必要である。そのB-CASカードは株式会社ビーエス・コンディショナルアクセスシステムズ(B-CAS社)から「貸与」される。そのため、視聴者はB-CAS社との間でカードの仕様についての契約を結ぶことになり、法律上は自由であるはずの無料放送を受信するために、視聴者が1民間企業との契約条件に縛られることになるのである。そのため、この仕組みが脱法的であるとして、しばしば批判の対象になっているのだ。

なぜ放送局が無料放送までも暗号化したがるのかというと、放送内容のコピー制限をしたいということが挙げられる。しかし、著作権法上は私的な利用や、論説のための引用など、正当な理由がある場合は著作物のコピーが認められている。そこで、B-CAS社の約款でもって本来は法律上で認められているコピーにまで制約を加えようというわけである。実際、B-CAS社の約款には「カードの使用目的に反する機器(例えば著作権保護に対応していない機器)に、このカードを使用することはできません」とある。

このようにデジタル放送のようなデジタルな著作物を、権利者の側で技術的な手段を使ってコピー制限等を加えることをデジタル著作権管理(Digital Rights Management: DRM(ディーアールエム))と呼ぶ。しかし、技術的に完璧なDRMというものは今のところ存在していない。

なぜなら、著作物を提供するためには、最終的にはいずれかの段階で著作物を見ることが出来る状態にしなければならないからだ。そのためには、利用者が機器を使用している間、復号された“生のデータ”が必ず機器の中に存在するのである。DRMの技術はそれを取り出しにくくするためのものではあるのだが、現実には案外簡単に取り出せてしまう場合が多い。暗号を解読するための手段が利用者の手元にあるのだから、当然のことだ。

すると、狡猾(こうかつ)な人はDRMを解除して自分の好きなように著作物を利用する一方で、正直者にとっては煩(わずら)わしい制約になってしまう。そして、DRMにための技術にはコストがかかり、そのコストを負担するのは結局は正直な利用者という、実に不公平なことになってしまうのだ。

また、せっかくアナログからデジタルへと技術が進歩したのに、利用者にとって前より不便になるのは理不尽だという批判もある。もっとも、コピーしたデータの質を気にしないのであれば、チューナーをビデオレコーダーにつなぐか、テレビの画面をビデオカメラで撮ればよい。

本誌電子版同和と在日も、デジタルデータである以上はDRMを使用することはできるのだが、使用しなかったのは実はこのような理由からである。

それならば、無料放送の自由な受信や著作物のコピー自体を禁止してしまえと思うかも知れないが、それが出来ないのは、やはり憲法が保障する表現の自由が関係してくるためだ。放送の受信について国民に制約をかけることは、全体主義国家で行われているような情報統制につながるし、報道や政治的な議論のためのコピーまで禁止してしまうと、民主主義そのものが成り立たなくなる。

B-CASカードというのは、経済活動の自由と表現の自由のせめぎあいの中で、経済活動の自由を主張する側が生んだ産物と言えよう。

B-CASカードは何をやっているのか
B-CASカードはICカードの一種である。そして、ICカードの中でも「スマートカード」と言われる部類に入る。スマートカードは単に情報を記録するだけではなく、実はカード自体が小さなコンピューターになっている。カードリーダーに差し込むと、単にカードにデータを読み書き出来るだけではなく、カードに電源が供給されて、カード内のコンピューターが起動する仕組みになっているのだ。

B-CASカードの中は本来非公開なのだが、実はコンピューターの種類まで既に判明している。MC6805と呼ばれるもので、これは30代の方であればおなじみの「ファミコン」の中に入っていたコンピューターによく似ているものだ。現在では家電製品や産業機械などに組み込む、小型コンピューターとして大量生産されており、非常に安く入手できることから採用されたのだろう。つまり、B-CASカードの中にはファミコンが入っていると考えていただいて差し支えない。この「ファミコン」が、暗号を解読するための計算を行うのだ。その仕組みを、詳しく解説しよう。

数字の羅列(られつ)であるデジタルデータを暗号化するには、まず「暗号化の手段」を決めなくてはいけない。例えば数字をずらして、1を2に変え、2を3に変えるというのも立派な暗号だ。もちろん暗号化の手段を隠しておけば他人には分かりにくくなるのだが、暗号化の手段は公開しておき、暗号を解くためのヒントを秘密にしておくという方法もある。例えば、数字をずらすという暗号化の手段は公開しておくが、いくつずらすのかということを秘密にしておく方法だ。この暗号化を解くためのヒントとなる数字ことを、「鍵」という。暗号化の手段を箱とすれば、それを開くためのヒントを鍵になぞらえているわけだ。例えば、数字を3つずらすということであれば、この「3」が暗号化の鍵ということになる。現代社会で実用されている暗号化手段は、このように手段は公開しておき、鍵を非公開にするという方法をとる場合がほとんどである。そうしておけば、暗号を送る側と受け取る側は、前もって鍵となる数字だけをやりとりするれば済むからだ。従って、デジタル通信における、暗号を破るという行為は、秘密にされている鍵の数値を求めるということを意味する。

アルファベットをずらす程度の暗号化であれば簡単に解かれてしまうのだが、もちろんデジタル放送などで使われる暗号化の手段はもっと巧妙だ。デジタル放送の映像や音声データを暗号化する手段は「MULTI2(マルチツー)」と呼ばれるもので、1988年に日立製作所が考案した方法だ。暗号化の方法の中身まで説明すると長くなってしまうので割愛するが、この方法では鍵となる数字は0と1の組み合わせを64個並べたものを使う。この組み合わせの数は一見少ないようだが、実は1億の1億倍以上の組み合わせがあり、そのうちのただ1つの数値が実際に暗号を解読する鍵ということになるので、簡単には解けない。

もちろん、解けない暗号というものはない。コンピューターを使って力技で1億の1億倍以上の組み合わせをしらみつぶしに試行すれば、理論上は解ける。その代わり、そのためには現在のコンピューターの性能では、例えば千年かかるとか、一万年かかるとか、現実的にはあり得ない時間がかかるという見積りがあって、安全性が保障されている。しかし、暗号は数学の「数論」という分野を応用したもので、この学問には未解明の問題が多く残されていることから、絶対的な保障はない。ある日突然数学者が、しらみつぶしに試行するよりも、計算によりもっと効率良く鍵を見つけ出す方法を発見してしまう可能性があり、現にそうやって突破された暗号化手段もある。突破されにくい優れた暗号化手段を考案するには、暗号を突破する方法についての知識が必要になるため、世界中の研究機関で、様々な暗号化手段を突破するための研究が行われている。

しかし、デジタル放送にはそれ以前の問題がある。視聴者が放送を見るためには受信機の中で現に暗号が解読されなければならないので、鍵は必ず受信機の中に存在しているのだ。実はB-CASカードは、この鍵を取り出しにくくするためのもので、少しまどろっこしいことを行なっている。

まず、放送局から暗号化された映像と音声(この信号はPES(ピーイーエス)と呼ばれる)が家庭に届けられる。受信機は暗号化されたデータを、チャンネルごとに異なる「ストリーム鍵(デジタル放送の技術文書ではKsという略号で呼ばれている)」という鍵を使って復号している。しかし、このKsが判明すれば、誰でもそのチャンネルを視聴できる受信機を作れるということになってしまうので、放送局は数秒ごとにこのKsを変えている。

ここで、B-CASカードが使われるのだ。Ksは、数秒ごとに放送局の電波に載って受信機に届けられる(この信号はECM(イーシーエム)と呼ばれる)。前述のとおり、暗号化の鍵は文字に換算してわずか8文字分なので、膨大なデータを送ることができるデジタル放送にしてみれば、Ksを頻繁に送ることはたやすいことだ。

このときKsは暗号化された状態で放送局から送られてくる。つまり、鍵をさらに別の鍵を使って暗号化しているのだ。この、暗号化されたKsを復号するための鍵こそが、B-CASカードの中にあり、「ワーク鍵(Kw)」と呼ばれる。そして、復号自体もB-CASカードの中で行われる。B-CASカードの中にコンピューターが入っているのは、この復号を行うためだ。

放送局からECMが届けられる度に、テレビやチューナー等の受信機はそれをB-CASカードに渡して、引き換えにB-CASカードから復号されたKsを受け取り、それをさらにPESの復号に使っている。B-CASカード内にあるKwもチャンネルごとに異なるが、こちらはKsのように頻繁に更新されることはなく、ほぼ一定のままだ。

実はデジタル放送には、この個別のカードごとのKwを更新する機能がある。例えば、視聴者から有料放送を視聴するための申し込みがあった場合、今まで視聴者が受信していなかったチャンネルを受信できるようにするために、放送局からKwが送られてくる(この信号はEMM(イーエムエム)と呼ばれる)。全世帯向けの放送を使って本当に個別のカードを更新できるのかと思われるかも知れないが、前述のとおりデジタル放送の通信量は膨大で、それに対する鍵の情報はごく短いものなので、1時間に数十万枚のカードの情報を書き換えることは十分に可能なのだ。

もちろん、放送局から送られるKwも暗号化されており、これを復号化するのもB-CASカードの仕事である。暗号化されたKwを復号するための鍵は「マスター鍵(Km)」と呼ばれ、これはカード毎に異なる。復号されたKwはチューナーには送られず、カード内に格納されるので、本来であればKwを誰も知ることはできない。なお、EMM信号はカード内のKwを削除する、つまりは特定のチャンネルを見られなくすることもできるので、カードの書き換えについて研究する者の間では俗に「毒電波」と呼ばれる。

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ノーベル賞は難しいかもしれないが、凄い技術だ!紙に充電できる紙バッテリー

暮らし

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●空中の電磁波から電気を回収:印刷した回路で
ジョージア工科大学の研究チームが、空中の電磁波からエネルギーを回収する方法を開発した。
インクジェット・プリンターで作った装置を使い、FMラジオからレーダーまでの広い周波数帯域から、
少量の電力を集めることができるようだ。

技術自体は新しいものではない――周辺のWI-FIの電波などから少量のエネルギーを集める構想はすでに提案されている(機器もいくつか出ている)。しかし、これらはたいていが、電磁スペクトルのごく一部からしか電力を得られない(わずか数kHzのこともある)。ジョージア工科大学の新しいシステムは、100MHzから15GHzまでという、ずっと広い電磁スペクトルからエネルギーを引き出すことができるという。

良い点は、エネルギーを回収する装置を作るのが簡単だということだ。回路は、紙や紙に似たポリマーに、インクジェット・プリンターを使って印刷する(ナノ粒子のエマルション(懸濁液)を加えている)。ポリマーに印刷した場合は、60GHzまで利用できる可能性がある。

携帯電話などのガジェットはいつか、これまで使っていなかった電波を使ってバッテリーを補えるようになるかもしれない。ただし、現在は得られるエネルギーが小さく(50mW程度)、いまのところ小さな家電でさえ電力を自給させることはできない。

とはいえ、このエネルギーを小型のコンデンサーにためることができれば、低エネルギーで利用が断続的なデバイス(温度センサーなど)に一時的に電気を供給したり、ソーラーパネルなど、エネルギーを集めるほかの装置を補ったりはできるだろう。

ほかにも、システムが修復されるまで必須機能を維持したり遭難信号を出したりする、重要なつなぎの機能を果たせる可能性がある。

印刷方式で製造できる、柔軟な「紙バッテリー」
左は普通の紙。右はカーボン・ナノチューブでコーティングされた紙。電子顕微鏡写真:Yi Cui
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コンピューターや携帯電話等に組み込み可能な軽量型バッテリーの実現が近づいたようだ。
普通の紙に、カーボンや銀のナノマテリアルをコーティングすることで、バッテリーやスーパーキャパシタ(大容量コンデンサー)を作る技術が開発されたのだ。

科学者らが、普通の事務用紙と大差ない紙に、カーボンや銀のナノマテリアルをコーティングすることで、バッテリーやスーパーキャパシタ(大容量コンデンサー)を作る技術を開発した。12月7日(米国時間)に『米国科学アカデミー紀要』

(PNAS)ウェブサイトで発表されたこの研究により、科学者らは、コンピューターや携帯電話、ソーラーパネルに組み込むことができる、印刷可能な軽量型バッテリーへと近づいたことになる。

この「紙に印刷した回路で電気を回収」と「紙に充電できる紙バッテリー 」の技術開発は画期的だ。
さらに発展していけば、スマホやパッド、携帯、小型LED電灯なんかは充電不要になる可能性の可能性もあるのだ。
ノーベル賞は難しいかもしれない。しかし人の役に立つ、凄い技術だと思う。

http://gori10.iza.ne.jp/blog/entry/2912281/

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